投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『マネー敗戦』

吉川元忠『マネー敗戦』(文春新書 1998)を読む。
1980年からの日米経済を為替の動きを中心に分析している。経済の素人の私は、日米経済というと小中学校の社会の授業で習った実体経済しか思い浮かばなかった。橋龍政権時にあった貿易摩擦などは、日本の自動車産業とアメリカのBIG3や農業団体とつながった米通商の見えやすい対立だと考えていた。しかし、すでに95年の時点で、世界の主要市場での外国為替取引高は1日約1兆9000億円ドルであるが、そのうち同年の世界の貿易規模はその1.2%に過ぎないというデータがある。つまり為替の動きもそのほとんどは実際の貿易に比例しておらず、極めて国家レベル、また国家の枠組みを超えた商取引きのなかで決まってしまうのだ。

この本では日本のバブル発生から崩壊まで、全てアメリカの基軸通貨政策と為替誘導によって操作されていたと指摘する。80年代以降日本政府や銀行、生保がこぞってドルのまま米国債を買い続けたがために、アメリカによる恣意的なドル安政策によって90年代前半だけで為替差損が30兆円近く発生してしまい、バブル崩壊後の国債発行、公共投資による景気刺激策の効果の大半が消えてしまったという結論付ける。また90年代後半に発生したタイや韓国でのアジア経済の危機も、その背景にドル政策があるという。文芸春秋社発行の『諸君』に連載されていた内容だったためか、ドルに左右されない円によるブロック経済への意向を示唆するような箇所もあった。それにしても経済を読むのは難しいと実感した一冊であった。

『中国を知る』

田畑光永『中国を知る』(岩波ジュニア新書 1990)を読む。
天安門事件をめぐっての当時の中国首脳の動きが整理できた。また殷周時代から日中戦争までの教科書的な流れを受験時代を思い返しながら読んだ。

『警察はなぜあるのか:行政機関と私たち』

原野翹『警察はなぜあるのか:行政機関と私たち』(岩波ジュニア新書 1989)を読む。
警察という一行政機関の実態を具体的に挙げながら公共機関の意義(行政の公共分析)に迫ろうとする良書である。是非高校生に手にとってもらいたい本だ。1986年の緒方靖夫共産党国際部長盗聴事件の例など、その時々の政権に奉仕する警察の実情に懐疑的な視点を向けながらも、福祉も家庭問題も何もかも丸なげで警察にまかせてしまう市民の意識にも問題を投げかける。読みやすくかつ私たち国民の主権のあり方に結論をもってくる展開は好感が持てる。

『高校中退』

小林剛『高校中退』(有斐閣新書1987)を読む。
主たる読者として高校教師を意識したのか、高校中退の現状分析から中退を巡る教員・生徒の論理、そして退学を防ぐための解決策を提示する。ここ近年大学進学も視野に入れたサポート校が増えてきて「退学する自由」がかなり保障されてきて、現在には通用しないなと思われる部分もかなりあった。著者は学校の雰囲気に合わないという安易な理由で転退学を肯定したり、また人生の落伍者といった烙印を押すように否定的に中退をとらえるのでもない。著者は次のように述べる。

中退問題に出くわして教師や親にとって大切なことは、中退しようと考えている生徒ないし子どもに対して、それを安易に認めるのでも、一方的に否定することでもなく、中退することをめぐって本人がどれだけ真剣に自分自身の中で苦しみ、闘っているかを見極めさせることです。
安易に中退に走って自己の現実から逃避しようとしている生徒ないしは子どもに対しては、とことんその生徒が自己のこれからの生き方を賭けて真剣に中退することを考えているか、自問しているかを確かめ、そうでなかった場合は、生徒をギリギリまで考えさせ自問自答させた上で、最後の選択を本人にまかせるべきだと思います。そうした上での選択であるならば、多少のつらさがあっても彼らはそこを越えて生きていくに違いないだろうと思います。ここに初めて、たくましくしたたかな人生が生まれてくるのです。

しかし、上記のような事は学校中退だけでなく、転職、また離婚といった人生での大きな決断を迫られる時に共通する心構えであろう。自分で選んだ学校だから、自分で選んだ職場だから、自分で選んだ相手だからこそ、その最終的な価値判断も自分に帰って来るのである。