河合純一『夢 追いかけて』(ひくまの出版 2000)を読む。
バルセロナ、アトランタ、シドニーのパラリンピックに出場した日本第一人者の全盲のスイマーの著者が、大学卒業後静岡の中学校の新米教師として教壇に立つ奮闘記である。表題の通り、中学生向けに「夢は現実にしてこそ夢」と熱意を持ち続けることと努力の大切さを伝える。
日本では「スポーツ」は文科省の管轄なのに、「障害者スポーツ」は厚労省の管轄下にあり、盲学校、養護学校、聾学校の部活は文科省の管轄だが、卒業後は厚労省の管轄でルールが異なってしまうこともあるという。そのためオリンピックとパラリンピックの選手が同じプールで泳ぐということはほとんどない。作者は「障害を持っていない人たちは、パラリンピックをスポーツとは別物と考えがちで、パラリンピックの選手は日本の代表というよりも、日本の障害者の代表という意識が強くなりやすい」と述べる。同じ水泳というスポーツの中でことさら外形的な区分を設けることには肯定できない。
しかし、オリンピックも同様であるが、パラリンピック選手がなぜ日本を代表しなければいけないのか。「日本国家」の象徴が天皇制のもと、「五体満足」な「健全」なファミリーという「あるべき姿」と規定されている以上、そうした国家論に乗っかること自体に欺瞞が生じてしまうだろう。
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『勝つためのレシピ』
平石貴久『勝つためのレシピ』(光文社新書 2001)を読む。
柏レイソルのチームドクターを務める著者による、栄養管理に関する入門書である。激しいスポーツに熱を傾けるアスリートこそ、科学的なデータに基づく綿密な栄養計画が大切だと述べる。人間の筋肉には無酸素運動を行い、8秒間持続する「ATP-CP系」と33秒持続する「乳酸系」の2種類と、またミトコンドリア内でエネルギーを作り出し続ける有酸素運動の「TCAサイクル系」の3種類のエンジンで構成されている。必要な栄養素も、摂取時期もそれぞれの筋肉よって異なるため、試合前日、当日、試合中、試合後の時間軸に沿った食事指導が求められる。さらに、エネルギーの供給と代謝に関わるビタミンB群と疲労の回復、免疫作用に関わるビタミンCの効果的な摂取と、そうした栄養指導の行き渡る環境の両面が大切であるという。つまり選手個人個人の意識改革と努力、そして選手を支えるコーチ、スタッフ間の連繋をもスポーツドクターの指導領域であるとしている。
選手一人一人の栄養指導による成長が分かりやすく述べられており、納得しやすい内容であった。
『裁かれる大学』
五十嵐良雄『裁かれる大学』(現代書館 1980)を読む。
全共闘思想を継承しつつ、教育における反権力をもって、常に理性に先立つ人間の魂の本源を発想の基礎とし、既成の教育秩序や既成の教育関係を解体しようと『反教育シリーズ』を主宰していた作者である。
立場的には『脱学校の社会』を著わしたイリッチや『学校は死んだー教育におけるオルタナティブ』を著わしたライマーに依拠しながら、大学解体論、脱学校社会のありようを問う。そしてイリッチの述べる学校思想について作者は次のように述べる。
彼のいう学校とは、人間が人間自身の進歩と発展と解放のためにこれまでの人間史のなかでつくり出してきた秩序や制度や仕組み機構や慣習といったものを人間を拘束し、自縛するものとして、根源的に捉え、「見えないカリキュラム」と呼ぶ彼の言葉に象徴されている。たとえば、学校で教えられることだけが価値あるといった知の在り方=「制度化された価値」といったような、それらを彼は、イスタブリッシュメントやインスティチューションであると呼んでいるが、インスティチューションの革命あるいはカルチュラルの革命と主張する彼の考え方は“脱”という言葉に込められる。すでに出来上がってしまって、すっかり固まってしまっているように見える制度や体制を揺るがし解体するというところに、その革命の目標があるようだ。
『小が大を呑む:埼玉独立論』
前埼玉県知事土屋義彦『小が大を呑む:埼玉独立論』(講談社 1997)を読む。
購入した途端、土屋氏本人が県知事を辞任してしまったので、そのまま本棚で埃をかぶっていたものだ。政治家が自身の政策を喧伝する以上のものではない。
東京都民の出した廃棄物の処理問題を巡って、尊敬する人物として吉田松陰を挙げている。「士の行は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐過ちを文るを以て恥と為す。公明正大、皆是より出づ。」という言葉を紹介しているが、その尊敬する松蔭の言葉をまず自身が忠実に実践するべきであったろう。
『「勝ち組」大学ランキング:どうなる東大一人勝ち』
中井浩一『「勝ち組」大学ランキング:どうなる東大一人勝ち』(中公新書 2002)を読む。
91年の大学審議会答申による大学設置基準の大綱化以降の教養学部再編を、東大駒場の教授職員に焦点をあててつぶさに改革の過程を追ったものだ。とかく理念が先行しがちな大学改革であるが、公務員である大学教員の人事改革が一番難しく、結局は相互の教員の専門分野の妥協にしかならない実態を浮き彫りにしている。
