『裁かれる大学』

五十嵐良雄『裁かれる大学』(現代書館 1980)を読む。
全共闘思想を継承しつつ、教育における反権力をもって、常に理性に先立つ人間の魂の本源を発想の基礎とし、既成の教育秩序や既成の教育関係を解体しようと『反教育シリーズ』を主宰していた作者である。
立場的には『脱学校の社会』を著わしたイリッチや『学校は死んだー教育におけるオルタナティブ』を著わしたライマーに依拠しながら、大学解体論、脱学校社会のありようを問う。そしてイリッチの述べる学校思想について作者は次のように述べる。

彼のいう学校とは、人間が人間自身の進歩と発展と解放のためにこれまでの人間史のなかでつくり出してきた秩序や制度や仕組み機構や慣習といったものを人間を拘束し、自縛するものとして、根源的に捉え、「見えないカリキュラム」と呼ぶ彼の言葉に象徴されている。たとえば、学校で教えられることだけが価値あるといった知の在り方=「制度化された価値」といったような、それらを彼は、イスタブリッシュメントやインスティチューションであると呼んでいるが、インスティチューションの革命あるいはカルチュラルの革命と主張する彼の考え方は“脱”という言葉に込められる。すでに出来上がってしまって、すっかり固まってしまっているように見える制度や体制を揺るがし解体するというところに、その革命の目標があるようだ。

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