投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『金閣寺』

三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫 1960)を10数年ぶりに読み返す。
高校3年生の夏に半分くらいで投げてしまって以来である。吃りの学生僧である主人公が金閣寺に火をつけるまでの心理的葛藤を描いた有名な作品である。高校時分に読んだ時は理解出来なかったが、永遠の美に対する憧憬と日常に去来する欲望に拘ってしまう現実とのギャップに苦しむ姿が多少は飲み込めた。そしてそうしたギャップを解消する手だてとして金閣寺を焼いてしまおうという学生僧の衝動は、梶井基次郎の『檸檬』における丸善の破壊衝動にも共通する青年特有のものであろう。

二条城

昨日慶喜に関する本を読んだせいもあり、午後からの授業の合間を縫って世界文化遺産にも指定されている二条城の拝観に出かけた。大政奉還が行われた間も公開されていたそうで、歴史の一端を感じることが出来た。

nijyoujyou

『最後の将軍』

司馬遼太郎『最後の将軍:徳川慶喜』(文春文庫 1997)を読む。
大政奉還を成した徳川最後の将軍で、教科書にも二条城でのその様子を描いた絵が載っているが、彼自身は将軍職には僅か1年あまりしかおらず、また明治に入ってからは黙りを決め込んだため、彼の政治思想は不詳であった。小説の形であるが、ペリー来航以来一貫して開国の思想を持っていた慶喜が、300年続いた幕藩体制にしがみつく守旧派と、天皇を担ぎ出して攘夷を唱える急進派と、水戸出身者を排撃せんとする紀州・尾張家の幕閣の3者の対立の狭間で、将軍の立場で大政奉還にまで導く生き様は興味深い。「百策をほどこし百策を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」と自らの立場を捨てることで丸く収めようとする慶喜の姿は判官贔屓の日本人の郷愁を誘う。

『檸檬』

京都に向かう狭い高速バスの車中にて、梶井基次郎短編集『檸檬』(新潮文庫 1967)に収蔵されている作品の内の「檸檬」だけを読む。青春期特有の何か鬱蒼とした悩みを抱えながら京都の町を徘徊する主人公に自らを準えて、京都の町を散策してみたいと思う。