青木雄二『青木雄二のゼニと病気』(青春出版社 2003)を読む。
著者自身が肺ガンによって亡くなる直前に書かれた作品になっており、医者や病院、保険会社、厚生労働省を中心とした保守的で身内をかばい合う医療界の旧い体質を独断調でバサバサ斬る。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
「このまま終わっていいのか」
あけましておめでとうございます。寒い日が続きますが、皆様のご健康をお祈り申し上げます。
本日の東京新聞朝刊に元東大全共闘のメンバーで弁護士の秋山洋氏の談話が載っていた。私自身の今年一年の目標はまだ定まっていないが、「このまま終わっていいのか」という秋山氏の言葉を胸に刻んでいきたい。
僕らの世代はベトナム反戦が共通項だった。ベトナムで毎日、人が死ぬ。もっと平和な時代に生きたい。黙っている自分が嫌だ、というイライラが常にあった。大学紛争が敗北し、次の世代はしらけた。でも、いまのイラクだってベトナムと同じ。お前はどうするんだと考えさせられる。自衛隊派遣はおかしい。昔だったら、大学にバリケードができるんじゃないか。
ヒッピーのように既成の価値観にしばられない視点が好きだった。うさんくさい自己否定でなく、僕は自己肯定派。学生運動でも異端と見られた。ただ、僕らに一番欠けているのは人生の目標。同世代の中には「このまま終わっていいのか」という声がある。僕もそうかなと。おもしろい時代を生きてきた、得したなと思うからこそ。
今年も終わる
もうそろそろ、今年も終わる。
私にとってはいろいろとあり長い一年であった。
春先に結婚をして生活環境が変わり、また夏にかけて大学入試以来の集中した勉強をする中で、働くことの意味を自分なりに整理することができた一年であった。来年の今ごろは何を考え、何に取り組んでいるのだろうか。まだ働くことの意味と目的を自分なりに総括できていないが、「30代前半が物事を考察するのに一番すぐれた時期だ」という説を信じて精進したい。
『車掌だけが知っているJRの秘密』
斎藤典雄『車掌だけが知っているJRの秘密』(アストラ 1999)を読む。
前半は中央線の車掌として検札のつらさや遅刻や事故の際のどたばたが微笑ましく描かれているのだが、後半は国労の組合員として会社からの差別に闘い、東労組のいじめに耐える国労組合員の悲哀に満ちた日常が淡々と述べられる。
著者には「断固闘う!」といった闘争団の意気は薄く、1047名の闘争団との距離感を正直に吐露している。そして、下記のように著者は国労本部に対する批判を述べる。その中で、著者は乗客の安全と安心を第一としながらも、仲間同士笑いながら、飲みながらやっていける労働者本来の職場を目指す足がかりとして再び国労を選びとっているのだ。
問題は「闘う」がドグマとなることだ。誤解を恐れずにいえば、いつも活動家だけが固く結束し、お決まりの寝言のような演説をぶち、盛り上がっているだけなのだ。国労の組織は激減し、弱体化したのは事実なのに、活動家は、「一人一人の団結と闘う意識はより強固なものになった」などといい切る。私はそう思わない。不当な差別が長期化し、自分の利益にならないからと脱退していく一般組合員があとをたたないのが現状だ。国労は彼らを責めてはいけない。もうたまらん状態なのだ。もしここで強硬な戦術でも打ち出したりすれば、組織は再び大混乱に陥り、団結は崩れ、脱退者は増える一方だろう。正しい理論が必ずしも統一した実践に結びつかないのが運動の難しさなのだ。
『誤解だらけの大リーグ神話』
読売新聞運動部『誤解だらけの大リーグ神話』(中公新書ラクレ 2002)を読む。
日本では、大リーグというと「夢と希望が溢れ、地元に密着し、ファンを大切にするベースボールの神髄」と、日本球界への批判を交えながら半ば神話的に報道される。しかし、実態はニューヨークヤンキースなどの一部の金満集団とエクスポズなどのテレビ報道もない地方の球団の格差がますます広がっていく優勝劣敗の世界であることが見えてくる。
