五十嵐貴久『リカ』(幻冬舎 2002)を読む。
久しぶりにソファに寝そべって朝方まで一気に読みふけってしまった。
インターネットの出会い系サイトで知り合った女性が,実は過去に殺人を犯していた病的な執念を持った人間であったという話である。中年の男ならば誰しもが経験するふとした浮気心が災いを生んでしまう。そして,ネットの掲示板やメール,携帯の伝言といった電子情報が,中年男性の実生活を恐怖に陥れていく展開についつい引き込まれてしまった。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
『介護入門』
第131回芥川賞を受賞した,モブ・ノリオ『介護入門』(文藝春秋 2004)を読む。
改行のほとんどない文章で,「私」の心理描写が連綿と続き,小説というよりも日記文学に近い作品に仕上がっている。自分の生活の全てを犠牲にしてまで祖母の介護に尽くす精神的なストレスを抱え,大麻や音楽に溺れる昼夜逆転の生活の中から,徐々に介護をすることで30歳を過ぎた自分のアイデンティティを見つけようとする心模様が展開される。
著者モブ・ノリオ氏は製本された本としてはこの作品しか発表していないようだが,次作も是非読んでみたい。
『広島長崎修学旅行案内:原爆の跡をたずねる』
せっかくヒロシマを訪れたので,思い出を深化させようと一冊本を手に取ってみた。
松元寛『広島長崎修学旅行案内:原爆の跡をたずねる』(岩波ジュニア新書 1982)のヒロシマの章段を中心に読む。
高校生向けの本で平易な文章なのであるが,かなり難しい哲学や反戦運動の論理を含んでいるのでしばらく本棚に眠っていた本である。原爆慰霊碑の「過ちは繰返しませぬ」の主語の問題や,広島の軍事拠点のしての機能,原爆を冷戦の始まりと捉える視点など,1945年8月6日の午前8時15分に投下された原爆の因果を多角的に論じつつ,「被爆体験の継承」の意義が述べられている。著者は原水協の関係者なのだろうか,共産党に近い主張が繰り返される。
あとがきで,著者は次のようにまとめている。
ヒロシマ,ナガサキの思想というようなことがよくいわれますが,それは,被爆体験をその絶対主義から解きはなって,現代の状況のなかに正確に位置づけるところから生まれると思いますし,そこからは,被爆者の運動を,他の戦災者や戦争被害者の運動と連帯させ,さらには公害反対運動などの地域住民運動と連帯させる可能性も大きく開かれてくるのではないかと思います。
広島・大阪
仕事の都合で,広島・大阪方面に出張で出かけた。
世界遺産にも認定されている原爆ドームを初めてみての感想は,都会のビル群を借景としており,繁栄と滅亡のコントラストが美しかったということだ。「美しい」という表現は適切ではないかもしれないが,建物に対する第一印象は美しいの一言であった。この後,平和記念資料館を訪れた。被爆者の遺品や放射線による後障害の説明パネルなどをじっくりと見た。外国人の姿も多かった。それにしても,これほど戦争の傷跡を後代に伝えることを第一義の目的とした資料館が日本にあったことが不思議だった。
その夜,これまた世界遺産に登録されている宮島の厳島神社に赴いた。ちょうど満潮の時で,海にうかぶライトアップされた大鳥居の存在感が際立っていた。神社の本殿にも行ったのだが,背後に見える対岸の広島の夜景と一体となった大鳥居の姿が興味深かった。平安時代末に作られたものなのだが,現在の広島市内の夜景を考慮して作られたような趣である。
翌々日は,大阪のUSJに出かけた。ジュラシックパークなどのアトラクションを楽しんだ。ディズニーランドなどの他の遊園地には見られない,大人が楽しめる工夫が随所に凝らしてある。
最後の日,USJの近くにある「海遊館」という水族館に立ち寄った。いそいそとコンクリートの建物内を歩き回り,シャカシャカと車で移動する都会人にとって,水の中を悠然と泳ぐ魚の姿には,憧憬に近い感情を覚える。
『大学で福祉を学ぼうとするあなたへ』
淑徳大学社会福祉教育研究会『大学で福祉を学ぼうとするあなたへ』(みらい 2007)を読む。
大学の担当者から貰った大学の宣伝本である。教員個人の社会福祉を勉強していた学生時代の思い出が綴られている。私の社事大での実習担当をお願いした(しかし,事情で途中でキャンセルとなってしまった)教員のコメントも寄せられており楽しく読むことができた。
20年前に,「社会福祉士」という国家資格ができて以来,大学においては社会福祉という学問体系が確立したのは良いが,社会福祉士という資格自体が宙に浮いてしまった経緯が伺われた。















