だらだらとテレビ

今晩は疲れが抜けずに一日だらだらする時間が長かった。夜はずっとTBSの「関口宏の東京フレンドパーク」を見ていた。和田アキ子と彼女の親しい友人たちが出場していた。和田アキ子の友人として松村邦洋や高田純次、池谷幸雄、島崎和歌子らが出ているは納得だったが、島田紳助が出ているのは意外だった。二人の掛け合いを見ながら、昔日テレの「トップテン」の司会者を二人でやってたなあと思い出して合点がいった。

「東京〜」の後は「タイムショック」をぼんやり眺めていた。あの番組は雑学教養クイズの妙、有名芸能人の真剣な表情という面白さ以外に、出身の高校、大学という要素がかみ合ってくるので人気を博しているのであろう。東大、京大、早大、立大、熊大…と芸能人の出身もさまざまである。母校もしくは思い入れのある学校を出ている芸能人を応援したくなる気持ちは理解できるが、数年前のフジテレビの「平成教育委員会」にも多数出演していた定番の「高学歴芸能人」は少々新鮮味が欠けるのではないか。

岩槻公園へ

今日はお花見に岩槻公園へ出掛けた。3月のこの時期でもうすでに満開であった。明日辺りから散り始めるのであろう。昨年も早かったが、今年の桜の開花は異常である。しかし桜は散り際がひときわ美しい。余談であるが、日本の国花といえば桜ではなく菊である。なぜならば桜は散ってしまうから永遠に続く天皇制にとって縁起が悪いというのである。

春過ぎて/夏来にけらし/白妙の/衣干すてふ/天の香具山

百人一首の中でも持統天皇が歌ったこの歌が特に好きである。それは私は一年の中で桜が散った後の夏が来るまでのこの季節が一番好きだからである。解釈としては春が過ぎて夏が来たらしい、真白な衣を天の香具山に向かって干すというものである。単純な歌であるが、さわやかな歌である。私も今は花粉症なので、洗濯物を家の中で干している。乾きが遅くて困っている。しかし桜が散るのとほぼ同時に杉花粉の飛散も止むので、これからは洗濯物を気持ち良く干せるようになる。花粉症が席巻している現代こそ、季節感があふれ風情が感じられる歌となっている。

昨日の東京新聞夕刊より

昨日の東京新聞の夕刊の「世界の文学」というコラムに詩人佐川亜紀さんの文章が掲載された。
その中で韓国の労働者の詩を紡ぐ朴ノへが紹介された。日本、アメリカ、北朝鮮と多くの国家の論理に翻弄された韓国の労働者を真摯に、そして暖かく見守る視点が多くの読者の共感を生む。現在の日本にはプロレタリア文学が成立する余地がない。その背景には共産党の文化政策の貧困さが挙げられるが、一方で詩という極めて素朴な文学を変に高尚なものとしてしか紹介されない学校国語教育の貧困さも同時に指摘されなければならない。ここで一つ朴ノへの「もう一度」という詩を紹介したい。

希望に満ちた人間は
彼自身が希望だ
道を探す人間は
彼自身が道だ
ほんとうに良い人間は
彼自身がすでに良い人間だ
人間の内に存在している
人間から始まる
もう一度
人間だけが希望だ

日産マーチ

march

日産のマーチが好評だそうだ。オレンジ色の背景にかわいい目がきょろきょろするCMも好印象である。ヴィッツ・フィット以降、リッタークラスの低燃費車の市場が着実に拡大している。今度もマーチも息の長い商品となりそうだ。ただ、マーチに乗っているカルロスゴーン氏を見ていると妙にぴんとくるものがある。それはカルロスゴーン氏の顔を上下にぺちゃんこにして前後に引き伸ばすと新型マーチに似ている気がするのだ。あくまで気のせいであるが。

『家族シネマ』

第116回芥川賞受賞作、柳美里『家族シネマ』(講談社)を読む。
正直展開にドキドキする作品ではない。家族という共同体に対する否定、血がつながった家族すらも「登場人物A」という記号になってしまう現代家族風景を場面展開の素早いテンポよい文体で描いている。