すっかり人間に慣れてしまったマルクス君
最近は人間にべたべたしていないと落ち着かないらしく、くつろぐ時もお尻なり頭を人間になすりつけてくる。どうやら人間の足やら腕やらを枕に寝るのがお気に入りのようだ。ネコの持つ防衛本能は一体どこへやら。。。
『仏教入門』『仏教とは何か』
仏教関係の知識を整理したいと思い、入門書を二冊読んだ。
山形大学教授松尾剛次『仏教入門』(岩波ジュニア新書 1999)を読む。
著者は主に日本仏教を専門にしている学者であり、鎌倉以降の仏教の派生について、入門書の域を越えて詳しく論じられている。鎌倉仏教には多くの人物が出てくるが、私はその中でも日蓮宗の祖である日蓮が気になった。日蓮は1222年に千葉県で生まれ、天台宗比叡山延暦寺で受戒をし、法華経のエッセンスである「南無妙法蓮華経」を唱題するだけで成仏できると説いた人物である。彼は釈迦の悟りは「法華経」にのみあり、それ以外を信じることはいたずらに仏教信徒の間にセクト主義を持ち込むと批判した。そして幕府に悪法を止め法華経に帰依するように諌める『立正安国論』を提出したことでも知られる。
またこれはあまり知られていないことだが、宮沢賢治は18歳の時以来熱心な法華経の信者であった。そして有名な「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ」の歌には周囲から多少の誤解を受けても菩薩行を実践していく強い気持ちを著したものだと著者は述べる。
山折哲雄『仏教とは何か:ブッダ誕生から現代宗教まで』(中公新書 1993)を読む。
山折氏は、仏教そのものがブッダの教えを否定した一番弟子アーナンダ以降作られた歪んだ教えであるとし、ブッダの生き方そのものを追究することが現在の仏教徒に課せられた課題であると述べる。
ブッダは死の直前「アーナンダよ。お前たちは修業完成者(=ブッダ)の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。」と述べたという。しかしアーナンダは師の教えに背き、ブッダの遺骨を供養の対象とする「葬式仏教」の原形を作った。
そもそも人間は生きる上で「老病死」の悩みから逃れることは出来ない。だからこそブッダは正しく「生」きる道を説いたのであるが、アーナンダ以降の仏教徒は、悟りを得た後のブッダをありがたがり、仏教をひたすら死後の世界の安寧を祈る「救済」の道具と化してしまった。そしてその救済のされ方の解釈学的なタコ壺にはまっている「仏教学」に著者は批判を加えている。かなりの長文であるが、大学を卒業した若者に向けた青春メッセージともなっているので引用してみたい。
とすれば、あとにのこされた道は一つしかないだろう。大学の仏教学の門を出たアーナンダの徒は、仏教学の呪縛からできうるかぎり自分を解放するほかはないということだ。覚者ブッダの言説の網の目から脱れでて、俗人シャカがさまよい歩いたはずの世間へと転身していくことである。認識仏教の記憶から自由になって、実践仏教の空間へと自己の裸身をさらすことである。
ただしその実践仏教の広場には、どんな道しるべもなければいかなる方向指示版も立てられていない。どんな解説書もマニュアルも手にすることができないことを肝に銘じなければならない。俗人シャカが荒野をあてどもなくさまよい歩いたように、アーナンダの徒もとぼとぼ歩いていくほかはない。そうの彷徨・放浪の中で唯一たしかなことは、覚者ブッダの言説をただオウム返しにくり返すことではなく、いったいどうしたらその真理の言説に近づくことができるのかということを考えつづけることではないだろうか。もっとも、残念ながらそのための簡便な教科書などというものは一つもない。が、それだからこそその実践仏教の現場においては、すべてのことが許されているということもできる。アーナンダの徒は、それ以後は自分の才覚と知恵を総動員して手探り人生を歩いていくほかはないのである。
若きアーナンダの徒よ、大学の仏教学の門を出たあとは、当の仏教学をあっさりと宙空に放り投げたらよいのだ。わずか数年のあいだにからだに浸みこんだ仏教学の幻影にこだわる必要など毛頭ないのである。その幻影から真に解放されたとき、アーナンダの徒は俗人シャカが立っていたであろうスタートラインにはじめてつくことができるにちがいない。
覚者ブッダから俗人シャカへと仏教の歴史をさかのぼっていくこと、―そこにこそ現代に生きるアーナンダの徒の起死回生の道が横たわっているのではないだろうか。
『きみに読む物語』
『日本がわかる思想入門』
長尾剛『日本がわかる思想入門』(講談社OH!文庫 2000)を読む。
学術的な評価は低いのだろうが、聖徳太子から始まって和辻哲郎まで100人近い政治家、思想家、宗教家をあげながら日本の思想の根幹を探ろうとする入門書である。特に江戸幕府に対する反乱として有名な「大塩平八郎の乱」の首謀者である大塩平八郎を陽明学者ならではの行動だと高く評価している点が興味深かった。
しかし、全体的なトーンとしては、日本には天皇という精神的な支柱がいたからこそ、江戸幕府の封建制下においても、天皇の元に平等という「近代的」な哲学が力を持ちえたという流れになっている。いささか疑問の残る展開ではある。
『封建制社会』
兼岩正夫『封建制社会』(岩波新書 1973)を読む。
ゲルマン民族移動後から宗教改革までの暗黒のヨーロッパを、政治や経済、文化、そしてキリスト教など多くの側面から光を当てている。ローマ帝国崩壊から15世紀あたりまで、ヨーロッパの中心は東ローマのビザンツ帝国であり、イスラム教のオスマントルコであった。それに対してフランク王国やノルマンディー公国などは辺境に過ぎなかった。しかしそうした辺境のヨーロッパであったからこそ、ローマ帝国の文化を引き継ぐことが出来た。さらに、イスラム勢力の圧力が強まれば強まるほど、キリスト教を結集軸として国家の形成が促されてきた。イギリス、フランス、ドイツで宗教革命が起こり、それを契機に都市国家が形成され、産業革命が生まれたと、世界史の教科書はあたかも歴史の必然的な流れであったかのように説明する。しかし、ヨーロッパが世界を制するなんていう結果はあくまで歴史が生んだ偶然に過ぎないのではないか。



