ジャン・アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant)1825.5.8ー1910.10.30 享年82歳
スイスの実業家。キリスト教活動にも力を注ぎ、1852年24歳の時に、「ジュネーヴYMCA」を設立し、1853年勤務先の銀行からアルジェリアへの出張命令を受け、現地で差別と迫害に苦しむ人々を目の当たりにする。翌年銀行を退職し、30歳の時にアルジェリアで現地の人々の生活を助けるため、農場と製粉会社を始める。
翌1859年に事業の支援(水利権の確保)のため、イタリア統一戦争に介入してオーストリア帝国と戦っていたフランスのナポレオンⅢ世に会いに行く。そこでイタリア・カスティリオネの現地で、19世紀最大ともいわれる1日で4万人にのぼる死傷者を出すほどの戦争の真実に直面することになった。
1862年、その経験を手記『ソルフェリーノの思い出』にまとめる。その中で「戦場で負傷した兵士を敵・味方の別なく救護するために各国で民間の団体を前もって組織しておく」ことと、「その団体が戦場で安全に活動できるように国際的な取り決めを結ぶ」ことを提案している。
翌1863年、アンリ・デュナンを代表とする五人委員会(国際負傷軍人救護常設委員会)が作られ、翌1864年にはヨーロッパ16ヵ国が参加した最初の国際会議がスイスのジュネーヴで開催され、「傷病者は敵味方の差別なく救うこと、救護にあたる人々は中立として扱うこと」など、10ヶ条の赤十字規則が採択された。当初ヨーロッパを中心として創設された各国赤十字社は、その後世界中に広がり、特に第2次大戦後はアジアアフリカの独立と相俟って急速に数を増やし、2017年4月現在、190の社が承認されている。なお、1901年にアンリ・デュナンは第1回ノーベル平和賞を受賞している。
赤十字の普及にあたって、政治体制や宗教、文化の特殊性を超えて、「命と健康を守ること」「人々の苦痛を軽減し、予防すること」「人間の尊厳を確保すること」の3つの世界共通の理念を基調とし、それぞれの国の事情に合わせて取り組みを行っている。当初の赤十字社や赤新月社の事業は、紛争や災害時の救護活動に限られていたが、平時における災害対策や医療、保健、社会福祉、青少年育成といった分野に活動の重心を移している。