『日本の珍地名』

竹内正浩『日本の珍地名』(文春文庫 2009)を読む。
1999年から始まり2010年3月までを一区切りとした「平成の大合併」によって生まれた、首をひねりたくなるような地名が番付形式で紹介される。
「平成の大合併」とは、合併特例債と地方交付税の削減の二本柱による「アメとムチ」の政府の施策によって、1999年時点で3232あった市町村が、2010年3月の時点で1728まで削減された合併を指す。
そのため、地域事情を措いてまず合併ありきで進んでいったので、争いの元となる旧自治体名は使わないという原則が徹底され、「みどり」や「さくら」「大空」といった所在地不明のひらがな市名や、「○○中央」「北△△市」「南××市」といった安易な市名、さらには「小美玉市」「紀美野市」「いちき串木野市」といった「リミックス地名」が全国各地で出現している。
また、近隣市町村との合併がうまく行かず、埼玉県では「富士見市」と「ふじみ野市」が並んだり、山梨県では「甲府市」「甲州市」「甲斐市」の似た名前の市が3つも生まれたりしている。

全体的には珍奇な地名の紹介といった軽い内容ですいすい読むことができた。しかし、あとがきの中で著者は、住民への目配りやサービスが行き届かなくなる百パーセントの合併よりも、広域行政サービスを充実させた住民の生活圏とほぼ同じ領域をカバーする市町村同士自治体連合の方が望まれていたはずだと述べる。そして、合併しなかった市町村の方が、住民自治を守るためのさまざまな工夫をしながら危機感を持って立ち向かっているように思えるといった感想を漏らしている。
著者はこうした事態に対して、「合併した市町村で、合併の失敗が明白となった場合、再分離が可能となる制度の設計・構築は、最低限なされるべきである」と主張している。

私も著者の意見に賛成である。二重行政となるような無駄は徹底して省きつつ、観光や福祉サービスなどの住民本位の部分については住民の生活圏に則した自治体が担うべきだと思う。先日も東京都小金井市でゴミの問題が報じられた。周囲の自治体との「横の連携」ができない行政全体の弱点が浮き彫りになった。国や県との「縦のパイプ」の構築には熱心だが、周辺自治体との「横のパイプ」作りは二の次とされてきたのが、これまでの地方行政である。今回の「平成の大合併」も、そうした広域行政サービスの土台が築いてこなかったツケが回ってきたのであろう。

そう考えていくと、全国各地で産声を上げた「珍地名」も一笑に付すことはできない。私たちも日々「珍地名」なるものを作っているかもしれない。
どんな分野においても、客観的な分析と広い視野をもっていきたい。

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