吉川昌之介『細菌の逆襲:ヒトと細菌の生存競争』(中公新書 1995)をパラパラと読む。
話の中心である結核菌や赤痢菌、コレラ、サルモネラといった細菌とウイルスは全く別物であるが、新型コロナウイルス対応で後手後手に回った日本の感染症対策の貧困具合を案じる一文が印象に残った。
かつて人類の最大の病苦は感染症であった。伝染病の猛威の前に大きな都市が廃墟と化することもあった。結核に罹ることは死の宣告を意味した。大病院に列をなす患者の大半は、感染症に悩む人たちであった。人類の偉大な努力は、今こういう姿をすっかり変えてしまったように見える。もはや伝染病や結核サナトリウムは、その歴史的使命を終えた。大学では伝染病の講義などおざなりになりつつある。日本では、病原細菌学者が一人もいない医科大学や医学部が出現している。腸チフスや赤痢の患者すら診たことのない医師が生まれてくる。彼らはもはや細菌感染症などに学問的情熱を示さないし、ヒューマニズムの対象を求めようとはしない。
このひょうな傾向は、一面において慶賀すべきことかも知れない。しかし、この地球上から病原菌は姿を消してはいない。結核感染症の数は、コッホが結核菌を発見したときよりも今の方がはるかに多い。コレラの流行は、その規模において歴史の記録を書き変えている。今、発展途上国の惨状は言うに及ばず、先進国にすら細菌感染症の復活の兆しがみえる。(中略)日本のような国では、長い間伝染病が発生しなかったゆえに、多分、ヒトと細菌の戦いの歴史において、人類がかつて経験したことのない無防備な時代がやってくる。