『どうころんでも社会科』

清水義範『どうころんでも社会科』(講談社 1998)を読む。
「小説現代」の1997年1月号から1998年の8月号に掲載された内容である。色々と勉強になることが多かった。いくつかまとめておきたい。

かつて東海道で、唯一陸路ではなく海路になっていたのは、名古屋市内の東部にある熱田神宮から三重県の桑名までであった。濃尾三川(木曽川、長良川、揖斐川)の流れが強く、渡れなかった場所だったからである。そして知多半島は伊勢神宮と熱田神宮の間の中継地となっていたのである。

志摩半島はリアス海岸で有名だが、リアスとはスペイン北西部のガリシア地方にある地名で、入江の多い地方(Costa de Rias Altas)が由来となっている。志摩スペイン村があるのも、その点に関係があるのだろうか。

富山平野は3000メートル級の高山に囲まれているため、洪水が起きやすく、藩の財政は苦しかった。富山で薬売りが有名になったのは、立山で古くから修験道が行われ、立山御師と呼ばれる山伏が薬草に通じていて、薬を作る技術を持っていたことに始まる。そこで、人々が自由に移動できない江戸時代において、富山の薬売りだけが全国へ出向くことが許されていた。

江戸時代昆布は北海道でしか採れなかった。しかし、関東のうどんがカツオだしで黒いのに対し関西のうどんつゆはは昆布だしで薄口となっているのは、江戸時代に日本海を繋いでいた北前船のためである。京都のにしんそばや沖縄の料理に昆布が使われているのも同じ理由である。