月別アーカイブ: 2022年12月

『翻訳語成立事情』

柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書 1982)をパラパラと眺める。
著者は執筆当時、在野の翻訳論の研究者であった。江戸時代から明治にかけて、以前の日本語の概念にないヨーロッパの言葉がたくさん入ってきたが、それらが日本語に訳されてきた背景が丁寧に説明されている。「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」といった言葉をキーワードに、福沢諭吉や西周らがどのような意味を込めたのか、また、「自然」という言葉の持つ複雑な背景などが紹介されている。
面白そうな内容ではあるが、ささっと読み飛ばした。

「暖水系の魚活用へ模索」

本日の東京新聞朝刊に、地球温暖化の影響で、国内で取れる魚が様変わりし、海水温が低い水域を好むサケやサンマの漁獲量が減っているとの記事が掲載されていた。一方で、海水温が高い水域を好むサワラやブリ、タチウオ、シイラなどの水揚げが増えている。

記事の最後の方で、海水温の1度上昇は、陸の10度前後の上昇に相当すると説明されている。海水温の上昇がこれほどの影響を持つとは知らなかった。ちょうど2年生の地理の授業で扱っている分野なので、授業の中で強調して説明していきたい。

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『サッカー大好き!』

泉優二『サッカー大好き!』(岩波ジュニア新書 1994)を読む。
著者はサッカーの専門家ではなく、文筆家である。少年サッカーチームの監督を務め、長年にわたる海外サッカーの取材の経験を交えて、サッカーの魅力や日本人のあるべきサッカーとの関わり方について述べている。ちょうどJリーグが発足したばかりだったので、余計に日本にサッカーが根付き、海外チームに伍して強くなってほしいと、肩に力の入った文章となっている。

著者はサッカーが世界の団体スポーツの王者になった背景について次のように述べている。

では、なぜそれだけ受け入れやすいスポーツだったのでしょう。
道具が最低限ボールだけでよい、という経済的な理由も普及に役立ったことはたしかですが、もうひとつ、普及に役立ったのは、個人個人の特徴を生かせる、性格や運動能力のちがいをむしろ歓迎するスポーツだということです。ですから性格的な向き不向きがなく、自分のポジションがどこかにある。
同じように、これからが重要なのですが、国民性や、民族性という大きな枠でも、その特徴を生かせるスポーツだということです。
イングランドはイングランドの、ブラジルはブラジルの、そして他の国でも、ある国のサッカーは、他の国のサッカーと全くちがって見えるほどの特徴を、当初は持っていました。それだけ自由にのびのびと自分たちを表現できたということ、そのことが世界への普及をよりたしかなものにしたといえると思います。

著者の意見に沿ってみると、総合格闘技(MMA)の人気の理由も、サッカーの普及に近いものがある。総合格闘技も必要なものはグローブくらいである。また、個人個人の特徴を生かせるスポーツで、国民性や民族性といった特徴も大きな要因として加味される。サッカーというよりも、これからのスポーツのあり方を示すものだと言えるかもしれない。

『英語力を身につける』

高橋祥友『英語力を身につける』(講談社現代新書 2001)をパラパラと読む。
英語学習の新書というと、「これだけ覚えれば…」「英語脳を…」「楽して話せる…」「習うよりも慣れろ」など、中学高校の長時間にわたる学習を否定するような内容が多い。しかし、この本の著者は精神科医で英語の専門家ではない。そのため、日本国内で集中的に努力し、繰り返し学習することの大切さを解く。英語学習の本だが、英文の実際の解釈はなく、ラジオ講座や英会話教室の使い方、さまざまなリスニング教材の紹介、速読のテクニック、英文ライティングなど、筆者自らが実践しているノウハウが惜しみなく披露されている。

ある英会話学校が行った調査があります。日本の4年制大学を卒業した人が英語で仕事をするために必要最小限のコミュニケーション能力を身につけるためには約2000時間かかるという結果でした。私の経験を振り返っても、これは妥当な時間数だと思います。さて、これは毎日2時間英語を勉強したとすると、約3年かかります。しかし、たとえば、同じ合計2000時間であっても、毎日6時間かけて約1年でその時間数を達成するほうが明らかに効果が上がると思います。それくらい徹底的に学習に集中すべきなのです。

『爆笑問題のニッポンの教養』

太田光、田中裕二、長谷部恭男『爆笑問題のニッポンの教養:みんなの憲法入門 憲法学』(講談社 2008)を読む。
爆笑問題の二人が大学の研究室を訪れ、率直な疑問をぶつけるNHK総合のテレビ番組の内容をまとめた本である。そのため、日本国憲法の内容に関する本ではなく、憲法学とは何ぞやというテーマで3人のやりとりが展開される。最後に長谷部さんは次のように述べる。

教科書的な言い方をいたしますと、「国の政治根本的な仕組みを定めているのが憲法である」ということなんですけれども、比較不可能な価値観が対立し、競合するような世界観なり人生観を持った人々が、どうやって公平に社会生活を営んで暮らしていけるのか。それを支える仕組みはなんなのかを考えるのが、憲法学という学問だということかなと思います。

長谷部さんは、宗教に基づく対立や戦争は終わることがないという前提に立って、宗教の是非に関わらず必要な警察や消防、教育、医療、福祉といった公平に提供していかなければならない社会の仕組みを作っていくのが憲法学だと述べる。そして、数学や自然科学と違って根本的に進化していく学問ではなく、環境の変化や人々の生活や暮らしぶりの変化などに合わせて、その都度考えていくことだと結論づける。