日別アーカイブ: 2020年3月15日

『日本人が「世界で戦う」ために必要な話し方』

北山公一『日本人が「世界で戦う」ために必要な話し方』(日本実業出版社 2013)をパラパラと読む。
宣伝文句に「現役外資系マネージャーが教えるコミュニケーションルール」とあるように、グローバル企業で働く上で必要なコミュニケーションの基本的なルールや、組織と人間関係、会議やメールにおける誤解を招かない表現方法などが丁寧に説明されている。

多様なバックグラウンドを持った人たちが働くグローバル企業では、日本的な常識や思惑は通用しないというトーンで語られる。しかし、裏を返せば、グローバル企業での立ち振る舞いは、日本社会だと浮き上がってしまう。「空気が読めない」と評価されてしまう。「日本村」で働く自分には、参考になりこそすれ、真似したくない内容であった。

『世界がもし100人の村だったら』

池田香代子再話『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス 2001)を読み返す。
本棚を整理したら奥から出てきた。なるほど、言葉や細かい数字では伝わらない世界のリアルをざっくりと伝えるためには、「100人の村だったら…」という言い回しは有効かもしれない。
「こんな○○があった」「このような△△な状況は看過できない」など、数字なき言葉をいくら費やしても状況を煽るだけで、物事は整理できない。ざっくりとした割合や百分率で状況を分析する話し方を身につけていきたい。

『マスメディアの自由と責任』

清水英夫『マスメディアの自由と責任』(三省堂 1993)をパラパラと読む。
主に新聞や雑誌などの出版マスメディアにおける表現の自由をめぐる論考集である。取材・報道・出版の自由と相反するプライバシーや性表現の自己規制、検閲制度について論じられている。

本編はあまり面白くなかったが、1922年生まれの著者のジャーナリスト時代の経歴が興味深かった。著者は1947年に中央公論社に入社し、谷崎潤一郎の『細雪』の原稿の筆耕を担当することになる。その『細雪』であるが、戦時中は軍部から「この非常時に有閑小説を掲載するとは何事だ」とのお咎めを受け、雑誌『中央公論』が廃刊に追い込まれ、中断を余儀なくされた作品である。

当時は「表現の自由」を盛り込んだ新憲法の施行を目前にしていたが、まだGHQの支配下にあり、全ての雑誌がマッカーサー司令部管轄の民間情報局の検閲を受けることになっていた。著者自ら情報局に足を運び、掲載内容のお伺いを立てていたとのこと。

また、朝鮮戦争に伴うレッドパージを契機とした、経営サイドと組合が激しく対立した中公争議に巻き込まれ、著者は中央公論社をクビになり、河出書房が出資する近代思想社を結成する。その後、近代思想社は岩波書店に吸収されることになるが、著者だけが諸事情により採用されなかった。そこで著者は現在も「法律時報」や「法学セミナー」を刊行する日本評論社に入社する。日本評論社は現在学術系の雑誌を数多く刊行しているが、戦時中は左翼出版の一翼を担っていた。ちょうど著者が入社した頃に共産党六全協事件が起こり、徳田球一の論文を掲載したところ、GHQのマークが余計に厳しくなるといったエピソードまで紹介されている。

『環境ビジネス5つの誤解』

尾崎弘之『環境ビジネス5つの誤解』(日経プレミアシリーズ 2011)をパラパラと読む。
主に企業の経営陣を対象とした本で、バラ色で語られがちな環境ビジネスに参入する際の誤解や損益の見通しについて赤裸々に語る。環境ビジネスへの誤解として、著者は「クリーンエネルギーを増やせば増やすほどエコである」「電気自動車は異業種、中小・ ベンチャー企業を中心に短期間で成長する」「太陽光発電は『固定価格買取制度』(FIT)によって健全に成長した」「バイオ燃料は環境に優しいエネルギーである」「日本の技術力は、世界の水ビジネスをリードしている」の5つをあげる。それぞれ諸外国の失敗例や収支の悪化、ビジネスモデルとして成立していない状況などを丁寧に説明している。

一方で、「スモール・スマートシティ(環境配慮型の実験的都市)」については、環境ビジネスと都市機能の全てをひっくるめた巨大インフラとして、日本の輸出を支えるビジネスへと変貌する可能性があると論じる。

本書は東日本大震災の前に刊行された本で、原子力のコストを低く見積もっていたり、リチウムイオン電池の技術進展を見誤っていたりと、現状と合っていない点もあって読み飛ばすこととなった。