清水英夫『マスメディアの自由と責任』(三省堂 1993)をパラパラと読む。
主に新聞や雑誌などの出版マスメディアにおける表現の自由をめぐる論考集である。取材・報道・出版の自由と相反するプライバシーや性表現の自己規制、検閲制度について論じられている。
本編はあまり面白くなかったが、1922年生まれの著者のジャーナリスト時代の経歴が興味深かった。著者は1947年に中央公論社に入社し、谷崎潤一郎の『細雪』の原稿の筆耕を担当することになる。その『細雪』であるが、戦時中は軍部から「この非常時に有閑小説を掲載するとは何事だ」とのお咎めを受け、雑誌『中央公論』が廃刊に追い込まれ、中断を余儀なくされた作品である。
当時は「表現の自由」を盛り込んだ新憲法の施行を目前にしていたが、まだGHQの支配下にあり、全ての雑誌がマッカーサー司令部管轄の民間情報局の検閲を受けることになっていた。著者自ら情報局に足を運び、掲載内容のお伺いを立てていたとのこと。
また、朝鮮戦争に伴うレッドパージを契機とした、経営サイドと組合が激しく対立した中公争議に巻き込まれ、著者は中央公論社をクビになり、河出書房が出資する近代思想社を結成する。その後、近代思想社は岩波書店に吸収されることになるが、著者だけが諸事情により採用されなかった。そこで著者は現在も「法律時報」や「法学セミナー」を刊行する日本評論社に入社する。日本評論社は現在学術系の雑誌を数多く刊行しているが、戦時中は左翼出版の一翼を担っていた。ちょうど著者が入社した頃に共産党六全協事件が起こり、徳田球一の論文を掲載したところ、GHQのマークが余計に厳しくなるといったエピソードまで紹介されている。