月別アーカイブ: 2018年8月

久喜菖蒲公園

車に自転車を3台積んで、久喜菖蒲公園で男3人のサイクリングを楽しんだ。
小学校1年生の下の子の成長に目を細めた。

「キャンベルさん 自民議員の発言『危惧』」

本日の東京新聞夕刊に、自民党の谷川とむ衆院議員による「(同性愛は)趣味みたいなもの」など、性的少数者を巡る一連の問題発言について、日本文学研究者のロバート・キャンベル東京大名誉教授が、自身の同性愛者を明らかにした上で以下のようなコメントを寄せている。

 政治家がこういうことを言うことに幻滅し、危惧も感じる。(性的志向は)自分の中に通底する一つの芯のようなものだ。大きな誤解が波及していくと感じ(同性愛者である)自分の立場から批評することが重要だと思った

(「生産性」がない、性的志向を「嗜好」と表現した杉田水脈衆院議員に対しても)性的志向を「嗜好」と混同させるように書いている。努力で変えられると思っているようだが、「直せばいい」という論理は多くの人の苦しみを助長する

(日本社会のLGBTへの態度を)やんわりと遠巻きに見るが、表立って公認しない。一人一人の当事者の可能性を閉じ込め、開花させない力が働いている

「自分の中に通底する一つの芯」という言葉に込めたキャンベル氏の思いは強い。その人の「性」を否定するということは、「生」を否定することに直結する。自己の認識と他社の認識が大きく食い違うところなので、十分な配慮を心掛けたい。

葛西臨海公園〜お台場ダイバーシティ東京

男3人で、車に自転車を3台積んで葛西臨海公園へ出掛けた。
子どもたちと自転車で都内を走るのが夢だったので、公園内の少しの時間であったが、父親としては嬉しかった。
泳ぐことこそできなかったが、腰辺りまで波をかぶって、子どもたちは大はしゃぎだった。
ベンチでカップラーメンを頬張ったり、フナムシを追っかけたりして男旅を満喫した。
その後、お台場のショッピングモールで行われているドラゴンボールのイベントに立ち寄った。
超サイヤ人の悟空とベジータの人形は迫力満点であった。しかし、他は映画の宣伝ポスターとグッズ販売だけで、すぐに飽きてしまった。フードコートでたこ焼きを頬張って帰路についた。



『駿台教育フォーラム 百周年記念号』

昨日、駿台で配布されていた「教育フォーラム 31号」(駿河台学園 2017)を手に取ってみた。1918年(大正7年)に「東京高等受験講習会」と産声を上げて以来、神田の地で、大学合格に必要な知識や技術だけでなく、大学入学後に必要な教養にまで踏み込んだ授業を目指す駿台予備校の100周年記念特集である。論文科の山本義隆氏の寄稿もあり、思い出話から高大接続、応用的な授業内容もあり、多彩な内容となっている。
そういえば、私自身が駿台予備校生時代にも、今は無き1号館校舎で500円で頒布されていたのものを購入した記憶がある。詳細は覚えていないが、ホイジンガの「遊び」についての評論に触れ、知的好奇心を大いにくすぐられたものだ。
冒頭特集の座談会の中で、論文科講師の最首悟氏は次のように語る。

 高卒生と現役生を教える場合の違いもありますね。高卒生は、階段を踏み外した感覚を抱えたまま教室にやってきます。職業欄に「無職」と書かなければならない緊張感があると思います。
無所属な個人として座っている一人ひとりの生徒に対峙しているというのが、予備校の講師が感じている緊張感の一部なのかもしれません。私自身の浪人時代を思い出しても、希薄な所属感しかもてないからこそ、個人として世界に触れているといった感覚がとても強かった。輪郭がもてくなくて凍えていた。(後略)

また、現代文科講師の霜栄氏は次のように語る。

 予備校という場は生徒にとって通過点でありながら、特異点でもあるでしょう。もちろん今この座談会だって、すべての場は通過点で特異点に違いはありませんが、彼らや彼女らは今まで一年ごとに刻んできた「学年」という社会的な枠組みを失い、希薄な帰属意識しかもたず、そのため素の個人それぞれの感覚で世界と触れ合うこともできます。今まで考えてこなかった事を考えるという意味で特異点にいるでしょう。それはけっしてデータ化できない個人的な体験だと思います。自分自身が「分からない」存在として浮かび上がってくることも多いのではないでしょうか。(中略)「分からない」と思えるからこそ「分かりたい」という意欲が湧きます。分かりきった人生など詰まらないでしょう。科学が自然への畏怖を失って必ずしも「知の生産」ではなくなり、「分かりやすい」貧しい言葉だけが声高に叫ばれたり、ビッグデータやIoTによって環境が決定づけられたり、決められた枠組みと価値観の中で人工知能が効率化だけを推し進めていくかもしれない時代に、自分の「分からなさ」を見つめて「生きる」意欲を燃やすことは、とても大変なことのように思います。

『本居宣長」

羽賀登『本居宣長:人と歴史・日本 22』(清水書院 1972)を読む。
江戸中期の国学者本居宣長について、著作の言葉の端々を拾い集め、人となりを丁寧に説明している。本居宣長というと、古事記や源氏物語などの生粋の日本の文化を研究している文学者というイメージが強かった。しかし、実際は極めて「原理主義」的な人物で、中国伝来の仏教や儒教を徹底して排撃し、天照大神由来の日本神道の示す情の世界に帰るべきだとの主張を、生涯に亘って繰り返している。

『万葉考』や『国意考』を著した賀茂真淵に師事し、直接に著作についての指導を受けている。一方、時代は少しずれるが、柳澤吉保の儒臣となり、孔子や孟子などの古典研究に勤しんだ荻生徂徠への舌鋒は鋭い。天下の制度を漢風に変質させたと、大化の改新にも懐疑的な見解を示している。また、貨幣経済は「世上困窮の基」であるとし、農本主義的な理想主義者でもあったようだ。

また、ややこしいことに、徳川幕府を支える朱子学は批判するが、朝廷が正式に征夷大将軍の任を与えた徳川幕府には忠誠を誓うべきだとも述べる。

宗教でも政治でも学問でも、取り戻せない過去を理想化し、現実の諸相を頭ごなしに否定する「原理主義」的な態度には与したくないと思う。