日別アーカイブ: 2018年3月16日

『日本史のおさらい』

山田淳一著、現代用語の基礎知識編集部編『日本史のおさらい』(自由国民社 2008)を読む。
2時間ほどで縄文時代から20世紀後半までの中学校レベルの日本の歴史の流れが整理できる入門書である。人物名や年号などの歴史用語の説明ではなく、「◯◯の状況になったから、××するようになり、△△が生じた」というように、分かりやすく説明されており、スラスラと頭に入った。また、ちょっとした豆知識も理解を助ける。編集サイドの工夫が随所に見られる良書であった。

江戸時代の豆知識の一つに「くだらない」という言葉の語源が紹介されていた。当時、日本の経済の中心は「天下の台所」である大阪にあり、各地からいろいろな商品が集まってきた。この中で上方である大阪から江戸に送る(下る)価値のないものを「下らないもの」と読んでいたそうだ。

『縄文美術館』

小川忠博写真、小野正文・堤隆監修『縄文美術館』(平凡社 2013)を眺める。
遺跡は特別な場所にあるというイメージが一般的だが、文化庁によると現在登録されている遺跡は全国で46万ヶ所もあり、ビルの下から原野まで広がっている。縄文時代は長い旧石器時代を経て約1万6000年前から始まる。農耕はしていなかったものの、狩猟採集したものを煮炊きしたり保存したりする習慣を有し、かさばって重い土器は移動から定住へ移行したことを示している。また、新潟県姫川河口域で加工されたヒスイや産地の限られる黒曜石、一定の様式の装飾品などが全国で出土することから、かなり広域の交易網があったことが伺われる。
石器時代や後々弥生時代の「繋ぎ」のようなイメージが強いが、鹿児島県薩摩硫黄島の鬼界カルデラの大噴火や温暖化による海水面上昇、弥生時代初期にかけての寒冷期など、気候変動や自然災害に柔軟に対応して生活や文化を発展させてきた縄文人のしなやかさが垣間見える。

『奈良の寺々』

太田博太郎『奈良の寺々:古建築の見かた』(岩波ジュニア新書 1982)をぱらぱらと眺める。
法隆寺や薬師寺、唐招提寺、興福寺、東大寺の5つの奈良の代表建築を取り上げ、その意匠や構造、配置についてイラストを多用して説明している。当たり前の話なのだが、日本オリジナルの建築というのは伊勢神宮や出雲大社などの神明造だけで、それ以降は仏教の影響を強く受けている。可能であれば建築史にも注目していきたい。

  • 法隆寺:用明天皇が病気になった時、病気平癒のために寺を建て、薬師の像を造ろうと誓ったが、その願いを果たさずなくなったので、推古天皇と聖徳太子がその遺願をついで、推古15(607)に造立したもの。しかし670年に雷によって全焼してしまったので、持統天皇の頃(遅くとも711年)に再建されたものが現存している。
  • 薬師寺:天武天皇が皇后の病気の平癒を願って造られ始めたもの。天武天皇は亡くなったが、病気が治り即位した皇后持統天皇と、そのあとの文武天皇が造営を続け、完成されたもの。
  • 唐招提寺:聖武天皇の命を受け、隋に渡った鑑真の修行ために759年に建立されたもの。
  • 興福寺:669年、藤原鎌足の妻鏡女王が、鎌足の造立した釈迦三尊を安置して山階寺を建てたのに始まると伝えられている。
  • 東大寺:743年聖武天皇の大仏造立の詔による。但し大仏の鋳造が終わらないと建物は完成しないため、大仏殿の完成は773年頃だったと推測される。