池澤夏樹・文/本橋成一・写真『イラクの小さな橋を渡って』(光文社文庫 2006)を読む。
イラク戦争開戦直前の2003年1月に刊行された本に付記のあとがきを加えて文庫化されたものである。
イラク来訪の理由を著者は次のように述べる。
2001年の秋から、「ニューヨーク・タイムズ」は世界貿易センタービルの被害者一人一人の人生を詳しく辿る連載記事を載せた。テロでも戦争でも、実際に死ぬのは家族も友人もある個人だ。だからテロというものを徹底して被害者の立場から、殺された一人ずつの視点から見るという姿勢は大事だ。しかし同じ新聞がアフガニスタンの戦争のことは抽象的な数字でしか伝えない。アメリカ軍が放つミサイルの射程はどこまでも伸びるのに、メディアの視線は戦場に届かない。行けば見られるはずの弾着の現場を見ないまま、身内の不幸ばかりを強調するメディアは信用できない。だから自分の目で見ようと思ってぼくはイラクに行った。
そして、実際にイラクを訪れ、サダム・フセイン政権下で意外と豊かな暮らしを営んでいたイラク市民の姿を通じて、次のように述べる。
イラクの子供たち、そして大人、彼らの普通に人間的な暮らし、それをぼくは見た。彼らのなかなかいい暮らしぶりに感心した。イスラム圏の多くの国の中で自分はここがいちばん性に合うと思った。本文にも書いたとおり、サダム・フセイン政権の独裁がどこまで国民を不幸にしているかを見届けることはできなかったけれど、すべての国民が監視社会の圧力の中で呻吟しているのではないかということはわかった。そして、自国の政権による圧制よりも他国から飛んでくるミサイルの方がより多くの不幸を生むだろうということも。
そして、米国によるイラク侵攻について次のように語る。
今の事態をアメリカの利害という視点から見ると、すべてがあまりに明快になってしまう。アメリカを動かしている原理は中東のエネルギー資源の確保とイスラエルの存続という二つだ。そのためには中東にアラブ圏をまとめる指導的な国が生まれるのは好ましくない。だからイランにホメイニが登場した時はイラクを煽動してイランをつぶそうとした。しかしイラクが強くなりすぎるのも困る。そこで湾岸戦争に誘い込んでサダム・フセイン政権の力を殺ぎ、今は大量破壊兵器を理由に武力で倒そうとしている。イスラエルが核兵器を持っていることは誰もが知っているけれども、日本を含む西側諸国がそれを論じることはない。そういう状況のうちに、また何十万のイラク国民が殺されようとしている。
池沢氏が本書の中で繰り返し指摘するように、新聞やテレビで詳しく報じられる各国政府と国連とのかけひきから政治を考えるのではなく、まずは戦争の現場となる場所で暮らす戦争に関係のない子供たちと同じ視点に立って、大国のパワーバランスの犠牲になる国や地域を取り巻く状況を肌感覚で分析するということが大事である。