月別アーカイブ: 2015年10月

『呼吸入門』

齋藤孝『呼吸入門』(角川書店 2003)を読む。
ちょうど呼吸の仕方について悩んでおり、古来より日本人が重んじてきた呼吸の意味や正しい呼吸の具体的な方法など大変参考になった。
齋藤氏は、身体全体をリラックスさせ、横隔膜を下げた状態のまま、臍下丹田を意識し「3秒吸って、2秒溜めて、15秒で吐く」という「呼吸の型」を提唱する。特に息を吸うことよりも、ゆっくりと吐くことの大切さを説く。そして、呼吸を整えることで、気持ちをコントロールしたり、自己を客観的に見つめ直したり、相手とのコミュニケーションの間を図ったりすることができると述べる。

孫引きになってしまうのだが、教育と呼吸について語る章の中で、大正新教育のリーダーで、今の総合教育の基を作った木下竹次氏の教育論が大変印象に残った。息を吐きながら噛み締めつつ引用してみたい。

 人は自由を欲するとともに束縛を欲する……思うに自由と束縛とは相対的なもので絶対に束縛もなければ自由もないはずである。鳥も空気の抵抗がなくては飛ばれない。釘も木片の反対がなくては聞かない。……束縛は自由を激成し束縛打破は自由行動者の愉快とするところである。自由行動がその束縛そのものに感謝することのすくないのは遺憾である。これを要するに縛解一如でなくてはならぬ。帯は身体を束縛する。しかし帯がなくては腹力がなくて活動自在にならぬことがある。縛即解・解即縛・学習もこの境涯に達しなくてはならぬ。(『学習言論』明治書院)

「伝わらぬものなら映画にしてでも」

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本日の東京新聞朝刊に、脱原発訴訟の弁護士を務めている河合弘之氏のインタビュー記事が掲載されていた。
河合氏は、脱原発運動をしていた核化学者の高木仁三郎氏に「弟子入り」し、20年前から電力会社相手に原発の危険性を訴える訴訟を続けている。負け続けながらも諦めずにチャレンジし続ける河合氏の次のコメントが印象に残った。

 (九州電力川内原発の仮処分が認められず、ことし8月に再稼動したことについて)
川内原発の仮処分が認められなかったことは、冷静に受け止めています。目の前のことに一喜一憂し、ここで負けたらすべて終わりではない。一つでも多くの原発の再稼動を阻止し、時期を遅らせ、基数を減らす。そうして再稼動を抑え込んでいくんです。
手段は訴訟や仮処分だけではない。脱原発のデモや集会をやったり、首長に働き掛けたり、署名運動をやったり、総力戦ですよ。

何気ない言葉であるが、策略家ならではの考えが表れている。得てして凡人なるものは、「これが勝負だ」「ここは必ず勝たなくてはならない」「ここで負けたらおしまいだ」と、一つのメルクマールに拘り過ぎる傾向が強い。そして、目の前のことに一度負けたらすべてを諦めてしまう。しかし、何度負けても諦めず、ただ同じことを繰り返すのではなく、その都度作戦を練り直して勝ちに行く戦略が必要なのである。

私自身も日常の生活や仕事の中で、一度思い込んだらそれが全てだと拡大的に考えてしまうことが度々ある。また、それを他人に押し付けるようなこともなきにしもあらずである。一度や二度の失敗や負けは勉強材料なのである。脱原発運動だけでなく、何事においても達磨大師の精神を大切にしたい。
インタビューの最後を河合氏は次の言葉で締めくくっている。いつかは私も口にしてみたい。

 ぼくはビジネス弁護士としてやることはやった。残りの人生は、脱原発と自然エネルギー普及にかけます。ぼくらの闘いは決して負けません。なぜなら、勝つまでやり続けるからです。

松原団地

本日、仕事の関係で獨協大学を訪れた。
集合まで少し時間があったので、隣接している松原団地の中を少し車で走ってみた。

松原団地は日本都市公団(現在の都市再生機構)が建設し、昭和39年に完成しました。総敷地面積60ヘクタール、5926戸、当時は東洋一のマンモス団地と呼ばれました。昭和37年に松原団地駅が開設されたこともあり、団地内には小・中学校、保育園、市役所サービスセンター、郵便局、商店街などが次々と建てられ、めまぐるしい発展を遂げました。( 広報そうか07年2月20日号「草加今昔 松原団地」)

3C家電が爆発的にヒットした頃のいざなぎ景気を象徴する大規模開発である。しかし、建て替えや立ち退きも進んで空き家も多く、転居できない高齢者がひっそりと暮らしている。
軍艦島も世界遺産に登録されたのだから、この松原団地も昭和の良き時代を象徴する建造物として保存されないのであろうか。

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ほぼ人気は感じられなかった。ネットで調べたところ、完成当時はちょうど同じくらいの年齢の子どもが数多く入居し、さながら長屋のような人情味あふれる街の様子だったそうだ。ふと藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」の和歌が思い出される。

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団地の中の商店もすべてシャッターが降りていた。

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昭和の時代と変わらぬ姿の丸ポスト。君はどんな景色を見てきたのか。

『賢人の仕事術』

酒巻久、小宮一慶、生島ヒロシ、佐々木かをり、渡邉美樹『賢人の仕事術:流儀を貫く覚悟がオリジナルの結果を生む。常識を疑って壁を破れ!』(幻冬舎 2013)を読む。
5人の経営者、アナウンサーたちが、それぞれ仕事に求められる思考・発想、数字への意識、人に好かれる会話・コミュニケーション、時間管理、リーダーシップなど、中堅世代に必要なビジネスマインドについて語っている。
「恕(相手の立場で考えること」の大切さや、「温故知新」「中庸」など、「論語」や「兵法」などからの引用も多く、生き馬の目を抜くような日本のビジネス社会においても、良くも悪くも道徳の教科書のような儒教精神や武士道精神が尊ばれるのだと思った。

常総市サイクリング

本日は仕事が休みだったので、天候の悪い中であったが、国道16号から関宿の裏道に入り、下総利根大橋を越え、坂東市を抜けて常総市までサイクリングへ出かけた。

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野田市関宿付近。「通り抜けできません」という看板の脇を抜けると、昭和50年代からほとんど変化のないような風景に出くわす。でも日常使っている道路から一歩入っただけで、どこか遠い田舎にワープしたような感覚になるのは面白い。

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雨がぱらつく中、ふと目に留まった「水海道風土博物館坂野家住宅」なるところに立ち寄る。入館料300円がもったいなくて入らなかったが、趣のある庭園であった。100円であれば立ち寄ったのに(笑)。

「国指定の重要文化財である「坂野家住宅」。3ヶ年にわたる保存整備事業により、明治23年の銅版画に描かれた姿が再現された「水海道風土博物館」になりました。豪壮な主屋と表門、瀟洒な造りの月波楼(書院)、豪農の家の姿をとどめる蔵や小屋の数々、発掘・復元された庭園、四季折々の美しさを見せる中庭などの屋敷構えとともに、竹林や梅林・雑木林など、いつも私たちの暮らしとともにあった里山の風景が”まるごと体感”できる『歴史空間』」(常総市のホームページより)

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普段通りの大人しい鬼怒川の様子。奥に見える辺りが堤防の決壊した箇所である。

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ちょうど、水没の一番激しかった地域をぐるっと回ってきた。東日本大震災の爪痕のように、車が田んぼの中にひっくり返っており、あちこちの家が傾いていた。結構新築の家もあり、購入した人の気持ちは如何ばかりであろうか。明るい色の法被を着たボランティアの人たちも数多く来ていた。雨脚が段々と近付いてきたので、残念ながらお手伝いはできなかったが、多少の貢献をと思い現地で食事だけ掻き込んで帰路についた。

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関東鉄道常総線の南石下駅の模様。鉄道は運休しており、10月下旬の再開予定である。

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廃棄物置き場と、その脇の石下のお城。