月別アーカイブ: 2015年9月

久喜菖蒲公園

家族を連れて、圏央道の久喜インター近くにある久喜菖蒲公園へ出かけた。
シルバーウィークのため、ボートも自転車もいっぱいだったので、鯉に餌を遣ったり、公園の遊具で遊んだりして時間を過ごした。
私一人、持参した折りたたみ式自転車で、一周2.6kmの湖を周回した。
からっと晴れて夏のような陽気となり、少し遅れた夏休みの行楽を満喫した。

その後、ショッピングモールのモラージュ菖蒲に立ち寄った。
真ん中の子と下の子は、ここでも2時間たっぷりと汗を流して遊んでいた。子ども達のパワーに付いていけず、ベンチで30分ほど昼寝をした。
帰りにフードコートにある丸亀製麺の「鬼おろし肉ぶっかけ」という男っぽいうどんを食す。大根の辛味と牛丼の砂糖と味醂がうまく噛み合っていて美味しかった。

東京都心をポタリング その3

漱石公園の向かいに、私が20年前に住んでいたアパートがある。
20年前、私は漱石公園の前にスクーターを止めていた。また、深夜にタイマー片手にムエタイロープで縄跳びをしていた。

確か12,3年前の深夜に、ドライブの帰りに立ち寄ったことがある。その時も、こんなボロアパートが残っているのかと驚いた記憶が残っている。
それからかなりの年月が経っているので、とっくに潰れているかと思いきや、20数年前の出で立ちのまま鎮座していた。また、偶然なのか、神のお導きなのか、普段は閉じられている門がたまたま開けられており、担当のおじさんが建物のチェックをしていた。話を聞くと、オーナーが亡くなられて、競売に掛けられているということだ。事情を話してアパートの中を見せてもらった。

いや〜、驚いた。私が20年前に住んでいたアパートそのままであった。鍵も掛かっていなかったので、部屋にも入ることができたのだが、私が出てから誰も入居していなかったのであろうか、私が退去時に大家さんにチェックしてもらった時の状態のまんまであった。本を積み上げていた畳の凹みまで見えたような気がした。時代の変化を感じることが多い昨今であるが、20年前の学生時代にタイムスリップしたような変な感じであった。

また、共同便所の真ん前に部屋があったのだが、玄関に立ち込める饐えたような匂いも全く変わらなかった。共同便所のドアと自分の部屋のドアがぶつかる建て付けの悪さも、今や懐かしい。20年前の当時ですら、昭和を感じる古めかしさだった。大家さんも当時70歳くらいで、火の用心の拍子木を叩いていた。そういえば、隣アパート(と言っても、窓から手を延ばせば届いてしまうくらいの距離だが)から般若心経が聞こえてきたっけ。

あと数ヶ月で潰されてしまうのであろうが、最後に見て、触れて、さらに匂いを味わうことができて良かった。

自転車の旅ならではの出会いであろう。車であれば通り過ぎてしまう風景に、触れ合うことのできる自転車での旅をこれからも大切にしたい。

   

東京都心をポタリング その2


国会議事堂から、国道246号に入り、とらやの前を通り青山一丁目のスタバで一息つく。
その後国立競技場の造成地が見たいと思い、神宮外苑に足を延ばす。


工事現場は、外部者が入ったり工事の様子が見られたりしないように、周囲が全て厳重に覆いでガードされていた。
ここまで国民の目線をブロックして作られる「国立」競技場とはいかなるものか。

ここまで揉めたのだし、東京圏内に代替施設は多数あるのだから、思い切って誰もが反対をしない里山的な自然そのままの公園にしてしまってはどうか。ネットで調べたところ、明治神宮の森も明治天皇が亡くなった後に、荒地から草木を植えて新たに造成した土地ということだ。競技場作りで争う人間の醜い姿を俯瞰するように、悠久の自然そのものと触れ合う公園にするというのは妙案だと思うのだが。
そうなると、せっかくできた大江戸線の国立競技場駅の駅名も変えなくてはならないか。


神宮を抜けて新宿御苑の周りを走った。新宿高校の校舎やグランドは大学のようであった。
学生時代に何回か訪れたことのある新左翼系の書籍や新聞などが充実している模索舍に立ち寄った。
約20年ぶりであったが、往時と全く変わらない店の様子に、なんとも言えない安心感を感じた。経営は苦しいであろうが、運動を下支えする存在として頑張ってほしいものである。


まだ、日没まで時間があったので、帰り際に早稲田南町にある漱石終焉の地として知られる漱石公園に立ち寄った。
新たな観光開発なのか、20数年前まで見捨てられたような公園が俄かに脚光を浴びて、職員が常駐する資料館が建てられ、新たに記念館の建設が始まっていた。

東京都心をポタリング その1

昨日、苦労してタイヤを700×32cから700×25cに替えたので、早速乗り味を試してみたいと東京都心をポタリングした。

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国道16号のイオンの辺りから松伏を抜け、江戸川CRを走る。ふと思い立って三郷から八潮市内の中川を走る。途中テレビで見たことのある珍しい地名に出くわした。「垳(土偏に行)」という地名である。出発して1時間あまり、初めてスマホのカメラを構える。

 

地図も無しに八潮から青砥周辺の下町を抜け、東京スカイツリーへとやって来た。外国人の団体が多数歩いていた小梅牛島通りから見るスカイツリーは、さながら観光写真のような佇まいであった。

スカイツリーから人ごみの中、自転車を押して歩きながら吾妻橋を通る。

ふと雑誌の記事を思い出し、山手線の線路を自転車で並走してみようと思い立つ。まずは神田駅をスタートとする。

ガード下の商店街の裏を抜ける。バイクでは出来なかった自転車ならではのコース取りである。

ガード下というのは、やはり構造上の制限があるためか、地権の絡みがあるのか、並んでいる店は昔のままである。

東京駅

どこに向かっているとも分からず、ひたすらペダルを漕ぎ続けた。ふと見上げるとホテルオークラの建物だった。


国会議事堂の裏からパチリ。つい先日の安保反対運動のためなのか、警察官がうろうろしていた。