内田康夫『氷雪の殺人』(文芸春秋社 1999)を読む。
1998年10月から1999年7月にかけて「週刊文春」に連載された作品である。
防衛庁(防衛省)の組織ぐるみによる何百億にのぼる水増し請求とそれに絡む殺人事件が題材となっている。
一度予算が付いたら後戻りできない官僚組織の体質や、防衛庁内の背広組や他の省庁が口を挟みにくい専門的な防衛予算のあり方、通信傍受法の危険性など、登場人物をして作者内田氏の見解がストレートに表されている。殺人事件というよりも社会派小説のような雰囲気を感じる作品である。
最後に、殺人事件を指示した犯人である防衛庁の制服組の官僚が次のように述べる。集団的自衛権による安全保障が取りざたされている現在、印象に残る言葉であった。
わしはいくつもの後悔を重ねてきたさ。しかし、六十年近い生涯の中で、積み重ねてきた後悔の最大のものは、沈黙を守ったことへの後悔だな。自衛官というやつはね、きみ、政治や国の方針に容喙することが許されない人種なんだよ。巷ではわけの分からないような若造が、勝手気儘に政治批判をやっていても、自衛官は公けの場で国政批判、とくに国防に関する主張を開陳することはできない。自衛官に意思表示が許されるのは、選挙のときに一票を投じるぐらいなものだ。その禁を破って国防論を披瀝した結果、葬り去られた先輩を何人も知っている。国や防衛庁はシビリアンコントロールの名のもとに、異端の存在は問答無用に排除するのだ。たとえいかなる愛国者であろうとも容赦はない。そのつど、自衛官は萎縮し、貝のように口を閉ざした。防衛大以来の約四十年間、わしも沈黙しつづけた。いまとなっては、その無為に過ごした歳月が惜しい