日別アーカイブ: 2015年8月29日

「新国立競技場の建設問題」

本日の東京新聞夕刊の中高生向けの紙面に、新国立競技場の建設問題に関するジャーナリスト池上彰氏のニュース解説記事が載っていた。
高校の運動会の盛り上げを巡って、歯止めが利かなくなった検討委員会の模様を引き合いに出しながら、新国立競技場の建設問題で露わになった日本特有の構造的な欠陥について指摘している。非常に分かりやすく、論点が明確な文章だったので、引用しつつ書き方を参考にしてみたい。

 戦前の日本は、中国大陸の「関東州」に陸軍を駐在させていました。ソ連の脅威に備えるためで、それが「関東軍」です。ところが、関東軍が、中国大陸で勝手に戦闘を始めます。日本政府は、戦火が広がらないようにしようとしますが、誰もが関東軍をやめさせることができない。そのうちに、「これだけ日本軍の兵士に犠牲が出ているのだから、ここで戦争をやめるわけにはいかない」という声が高まり、ついには全面的な日中戦争、アメリカとの太平洋戦争へと拡大していきます。多くの人が「戦争やめろ」と言えませんでした。
 戦争が終わった後、連合国による東京裁判は開かれましたが、日本人自らによる開戦の責任の追及は行われませんでした。「一億総懺悔」(一億の国民全員が反省しなければならない)という言葉でうやむやになってしまいました。
 新国立競技場の問題を戦争に置き換えると、こういうことではありませんか。
 つまり日本という国は、巨大なプロジェクトがいったん始まると、誰もがおかしいと言い出せず、途中でやめられない。どうしようもなくなって中止になると、誰もが責任を取らない。「みんなの責任だ」で、終わってしまう。太平洋戦争は、まさに典型でした。
 こうして見ると、いまも日本は、同じような体質を持っていることがわかります。これは健全なことではありません。
 要は目的を明確にすること。多目的にこだわると、無目的になってしまいます。担当者の責任の範囲を明らかにして、問題が起きたらきちんと責任を取る。この基本を徹底させないと、いずれまた同じ失敗を繰り返します。