大修館書店から教員向けに刊行されている『国語教室』の第100号(2014年11月25日発行)をパラパラと読んだ。
100号記念の「私はこう考える これからの国語教育のために」と題した特集が興味深かった。思想家の東浩紀氏、姜尚中聖学院大学学長、詩人の小池昌代さん、精神科医の斉藤環氏、劇作家の竹内一郎氏、評論家の宇野常寛氏、元アスリートの為末大氏、女優の中江有里さん、俳人の長谷川櫂氏、社会学者の古市憲寿氏、計10人の方がコメントを寄せている。
それぞれの立ち位置から、東氏は「初等教育に論理的文章を書く機会を取り入れるべきだ」と延べ、姜尚中氏は「新たな外国語あるいは翻訳語の拡大・浸透に柔軟に対応する国語教育」の必要性を強調し、また、古市氏は「現代社会にそぐわない手書きを廃止せよ」と述べる。身体論や非言語情報、コピペ術など、国語教員の発想とはかけ離れた視点からの提案が面白かった。
長谷川氏は「言葉は通じない」と断言し、宇野氏は「お役所的建前や世間的体裁から自由であり得る領域が、世界には、文化空間には存在し得ることを制度的に教え得る数少ない機会が国語の時間だ」と言う。
どうしても「文学教育」「古典教養」という呪縛から逃れられない国語教員にとって、「言語能力を育てる教科」という国語科の目標を改めて理解するよい「材料」であった。
『国語教室』
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