月別アーカイブ: 2014年10月

メーリングリストより転載

杉並の緊急アピール : 秘密保護法施行に絶対反対です!

◇◆安倍内閣は秘密保護法の施行を12月に目論んでいます。それに反対し、私たちは緊急アピールを発表しました。稀代の悪法をストップするためにみんなで声をあげましょう。☆秘密保護法に反対する杉並アピールの会☆

●緊急アピール
          
  秘密保護法の施行に絶対反対です! 再び、杉並から訴えます。

「治安維持法がつくられた時、それがそんなに恐ろしい法律だと感じた人は殆どいなかった。それが5年たって牙をむきだした時には誰もどうしようも出来なくなっていた」(加藤周一)

 この言葉が安倍内閣が12月10日に施行しようとしている「秘密保護法」と重なります。

 私たちは昨年、「秘密保護法に反対する杉並アピール」をまとめ、秘密保護法は「基本的人権をおかす」、「平和主義に反する」、「国民主権を踏みにじる」、「市民の生命・健康・安全を危険にさらす」と指摘し、約4500筆の賛同署名を国会に提出しました。世論調査でも8割以上の市民が慎重審議を求めているのに説明を十分せず、強行採決をしたことは民主主義を殺す暴挙でした。そんな「採決」に市民が納得していないことは、今夏、約24000件も集まったパブリックコメントでも明らかです。私たちはその公開を求めるとともに以下のことを訴えます。

1、秘密保護法は世界の潮流である情報公開の流れに逆行し、市民の「知る権利」
 を奪います。国連の自由権規約委員会も、「ジャーナリストや人権活動家の活
 動に萎縮効果をもたらしかねない」(2014年7月)と勧告しています。

2、「知る権利」を奪うことは、あの治安維持法のように戦争への準備であり、 
 安倍内閣が平和憲法を無視してすすめる集団的自衛権行使の容認と武器輸出と
 あわせ日本を戦争にいざなうことです。

3、 60年前、「生命と健康を守りましょう」と杉並からよびかけた原水爆禁止 
 署名は翌年には3200万筆に達しました。その歴史に学び立場をこえ超党派で集
 まった私たちは、憲法で定める人権尊重、平和主義、国民主権を踏みにじる
 秘密保護法の施行に反対し、その廃止を強く訴えます。
  
                   2014年10月14日
秘密保護法に反対する杉並アピールの会
       共同代表:伊藤定良青山学院大学名誉教授
            小林緑国立音楽大学名誉教授

<呼びかけ人>(50音順)
新井章(弁護士/宮前在住)
池田香代子(翻訳家/西荻窪)
石崎暾子(戦争への道を許さない女たちの連絡会/本天沼)
伊藤定良(青山学院大学名誉教授/阿佐谷)
小田川興(ジャーナリスト/荻窪)
勝俣誠(明治学院大学前教授/荻窪)
金子ハルオ(都立大学名誉教授/清水)
君島和彦(東京学芸大学名誉教授/宮前)
熊谷博子(映像ジャーナリスト/天沼)
栗田禎子(千葉大学教授/久我山)
黒川みどり(静岡大学教授/南荻窪)
小林亜星(作曲家/堀之内)
小林緑(国立音楽大学名誉教授/高井戸東)
髙嶋伸欣(琉球大学名誉教授/松庵)
寺田かつ子(元草の実会/上井草)
中村平治(東京外国語大学名誉教授/阿佐谷)
永田浩三(武蔵大学教授/善福寺)
服藤早苗(埼玉学園大学特任教授/善福寺)
福富節男(東京農工大元教授/清水)
三上昭彦(明治大学前教授/阿佐谷)
宮坂義彦(三重大学前教授/大宮)
山本洋子(映画監督/和泉)

『世界の中の日本』

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司馬遼太郎、ドナルド・キーン対談集『世界の中の日本:16世紀まで遡って見る』(中央公論社 1992)を読む。
ページをパラパラとめくっていたら、「シーボルト」や「ギルダー」という言葉が目に入ったので、西洋史の勉強の一環として手に取ってみた。
歴史作家の司馬遼太郎氏と、江戸文学研究家のドナルド・キーン氏が、江戸時代から明治時代にかけての言葉や文学、宗教、思想、芸術などについて自由奔放に語っている。両氏とも勉強家なので、対談といえどもそのまま一冊の文化論になるほどまとまった内容となっている。西洋における「絶対的」ものを日本人がどう理解してきたかという話が特に興味深かった。

私たち現代人は、江戸時代というと格式や鎖国、封建制でガチガチに固められた否定的な側面を思い浮かべてしまう。しかし、江戸期の日本は当時世界でも類を見ないほどの識字率を誇り、庶民でも読み書き算盤を習い、本を読む習慣がある一流の教育国であった。司馬氏は、二宮尊徳や石田梅岩といった心学者に倣い、頑張って自分の生活を向上させようという勤勉の精神や自立の精神があったと指摘する。さらに、勤勉に一所懸命に働けば何とかなるというプロテスタントに似た考えがあったから明治を可能にしたと述べる。

『権利のための闘争』

イェーリング『権利のための闘争』(日本評論社 1978)を20年ぶりに手に取ってみた。
明々後日に1週間「延期」された西洋史の試験が控えている。10月試験の範囲は、30年戦争からウィーン体制までの200年間の政治史である。名誉革命やフランス革命における用語を、試験中に困らないように頭に詰め込んでいる。ふと、アメリカ独立戦争やフランス革命以降の近代法がどのような結実を得たのかと思い、本棚から引っ張り出してきた。
学生時代に大学近くの古本屋で購入した本で、ぷ〜んとして古本の匂いと「寅書房 ¥300」というラベルが懐かしい。
しかし、20年前はきちんと読み通したのだろうか。読んだつもりで終わったのだろうか。序文を数ページ読んだだけで「お腹いっぱい」となった。
悔しかったので、印象に残った第1章の「法の起源」の冒頭部分を引用してみたい。

 法の目標は平和であり、それに達する手段は闘争である。法が不法からの侵害にそなえなければならないかぎり——しかもこのことはこの世のあるかぎり続くであろう——、法は闘争なしではすまない。法の生命は闘争である。それは国民の、国家権力の、階級の、個人の闘争である。
 世界中のいっさいの法は闘いとられたものであり、すべての重要な法規はまず、これを否定する者の手から奪いとられねばならなかった。国民の権利であれ、個人の権利であれ、およそいっさいの権利の前提は、いつなんどきでもそれを主張する用意があるということである。法はたんなる思想ではなくて、生きた力である。だから、正義の女神は、一方の手には権利をはかるはかりをもち、他方の手には権利を主張するための剣を握っているのである。はかりのない剣は裸の暴力であり、剣のないはかりは法の無力を意味する。はかりと剣は相互依存し、正義の女神の剣をふるう力と、そのはかりをあつかう技術とが均衡するところにのみ、完全な法律状態が存在する。
 法とは不断の努力である。しかも、たんに国家権力の努力であるだけでなく、すべての国民の努力である。法の生命の全体を一望のもとに見渡せば、われわれの眼前には、すべての国民の休むことのない闘争と奮闘の情景がくりひろげられている。その光景は、すべての国民が経済的な、および精神的な生産の分野でくりひろげているものと同じものである。自分の権利を主張しなければならない立場に立たされた者は、だれしもこの国民的作業に参加し、それぞれのもつ小さな力を、この世での法理念の実現にふりむけるのである。

川内テントブログ

以下、メーリングリストより転載します。

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鹿児島県・薩摩川内市の川内原発裏手にある、久見崎(ぐみさき)海岸に「川内原発再稼動阻止テント」が9月26日午後に設置できました。
遅くなりましたが、ご報告いたします。現在はテント6基。本部テントが2基、個人用が4基です。
本部テントは宿泊者用に数名分のスペースがあります。もちろんご自身のテント持参でもOKですから、お立ち寄りください。何日でも結構です♪
管理人 F

川内テントブログ: sendai-tent.tumblr.com

「東大闘争を語る」

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本日の東京新聞朝刊に、山本義隆元全共闘議長が40数年ぶりに「私の1960年代」と題した講演を行ったとの特集記事が掲載されていた。
1960年代後半の「全共闘運動」の背景にあった思想的潮流について、山本氏は、戦後の「平和」と「民主主義」「科学技術の進歩」の3つのシンボルが絶対的な正義とされた社会総体への疑問だと指摘する。「全共闘」というと、やれ保守と革新や、代々木と反代々木、〇〇派と××派の対立といったセンセーショナルな報道で彩られるが、戦後体制そのものの矛盾を明らかにするきっかけとなるものであった。
一連の学生運動が現代に与えた影響について、「何だったのかと問われると返す言葉がない」「あと何年生きられるか分からないが、やれることを見つけ、やっていかなければならない」というコメントが印象的であった。
アジ演説の写真の印象が強かったので、近況の写真のたそがれぶりに少し残念な心持ちがした。