月別アーカイブ: 2013年11月

大学案内研究:洗足学園大学

洗足学園大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
スマホで読み取るとさらに細かい情報が出てくる仕組みになっており、延々と講師の紹介やらが続く他音大と比べてシンプルで良い。
すっかり音大のイメージが強いが、元々は裁縫女学校を母体とし1926年創立の高等女学校であり、現在も東大4人を含む国公立に60名弱を排出する中学高等学校がその系譜を受け継いでいる。大学の方は、1962年に開設された洗足学園短期大学音楽科が元になり、1967年に設立されている。短大の方は現在では音楽科が廃止され、音楽教育が充実した幼児教育保育学科のみとなっている。
音楽に特化した大学、幼児教育に特化した短大、そして進学校の中学高等学校と、それぞれの特徴を絞り込みながら、オールインワンキャンパスのメリットを生かす形でうまい運営が行われている。元々は目黒区洗足に学校が置かれたが、1946年に現在地の川崎市高津区久本に移転している。おそらく当時は片田舎の郊外であっただろうが、現在は渋谷から急行で13分、東急田園都市線とJR南武線の2路線が使える溝ノ口駅から徒歩8分の至便な場所にある。幼稚園から大学院まで全て同地にキャンパスが置かれ、音大のホールで行われる演奏会やライブなどが学園全体の教育活動に寄与している。親族経営であるものの、早々と目黒区洗足にあった中学高等学校を廃止してビル用地に転売したり、富山県に作った短大や横浜に作った校舎なども2000年以降廃止するなど、上手く時代の流れを読んだ経営判断がなされている。特に創立者の出身地に設けられた洗足学園大学魚津短大であるが、まだ定員の6割を確保している余裕のあるうちの閉校判断である。ウェブで調べたところ、2万坪の敷地と10億円相当の校舎は魚津市に無償譲渡されたとのこと。

歌手平原綾香さんの出身校であったり、また、ドラマ「のだめカンタービレ」の撮影場所となったりと、一般の人の知名度も高い。教育方針の一つに「演奏・本番の重視」を掲げており、アンサンブルや演奏会の機会が数多く設けられており、個人の専門の器楽の演奏技術の向上だけでなく、音楽を通じた集団の中での状況把握やコミュニケーション能力の育成に重きを置いている。音楽学部の一学部であるが、その中に管楽器、打楽器、弦楽器、ピアノ、声楽、現代邦楽、作曲、オルガン、クラシックギター、ジャズ、ロック&ポップス、音楽・音響デザイン、ミュージカル、電子オルガン、音楽教育の15のコースが設けられている。オーケストラや吹奏楽だけでなく生楽器と電子オルガンのアンサンブルや邦楽ミュージカル、オペラなど、コースを越えた合奏授業が展開されている。

また、パンフレットに816万円の4年間合計の学費や30万円の教職課程履修費が分かりやすく明記されているのもよい。定員420名の内、300名をAO入試で選考している。倍率も1.1倍程度であるが、定員はしっかりと確保されている。2012年には自衛隊音楽隊へ全国トップの9名が合格している。誠実な大学の姿勢や環境は、明確な目的を持っている学生にとっては充実した4年間となるであろう。

『ローマの休日』

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地上波で放映された、オードリーヘップバーン、グレゴリー・ペック主演『ローマの休日』(1953 米)を観た。
ローマの観光地を舞台にした美男美女の恋愛映画かと思っていたが、つかの間の恋を楽しみ、そして叶わぬ恋と分かっていながら未練を感じてしまう失恋映画であった。
白黒ではなく、カラーで楽しみたかった。

『あぁ、監督』

野村克也『あぁ、監督:名将、奇将、珍将』(角川Oneテーマ21 2009)を読む。
「指導者論」についてまとめようと思い手にとってみた。印象に残った内容を引用してみたい。

中国のことわざにこういうものがある。
財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする。
財産を残すより、もう一方で人を残せば業績も財産もついてくるという意味だろう。業績を残すより、人を残すことこそが、その人間の価値を決めるという意味であろう。プロ野球の監督も同じだ。どれだけ人材を育てたか—それこそが「真の名監督」であるか否かをはかる基準であり、最大の条件であると私は思うのである。
ただし、私のいう「人材を育てる」とは、たんに「野球選手として一人前にした」という意味だけではない。技術的に大成させたことが、必ずしも「人を遺した」こととイコールではない。
「野球選手である前に、人間として一流」といえる人材を育成したかどうかが問われるのである。
その意味で、成績を残した監督が必ずしも名監督とはいえないし、たとえ成績的にはそれほどの実績を残していなくとも「名監督」と呼べる人はいると思うのだ。
(中略)
では、野球選手になぜ人間教育が大切なのか。
「人間的成長なくして技術的進歩なし」—私はいつも選手にそういっている。仕事と人生を切り離して考えることはできない。仕事を通じて人間は形成される。仕事を通じて人間は成長し、成長した人間が仕事を通じて世のため人のために報いていく。それが人生であり、人がこの生を受けることの意味だ。すなわち人生とは「人と生まれる」「人として生きる」「人として生かされる」と私は理解している。
そのように考えれば、当然野球に対する取り組み方が変わってくる。取り組みが変われば、おのずと結果も変わってくる。それが、私が「人間とはなんのために生きるのか」とたびたび選手に問いかけ、プロセスを重視する理由である。
それに、野球選手は引退後の人生の方が長い。したがって、引退後の人生を視野に入れながら日々を送る必要がある。そのときになってあわてても遅いのだ。ところが、選手はそれがわからない。解雇されてはじめて、「なぜ引退後のことを考えなかったのか」と後悔する選手を私は何人も見てきた。
現役のころから副業に精を出せといっているのではもちろんない。野球以外の世界に放り出されても生きていけるだけの常識と覚悟を身につけておくことが大切だというのである。そして、そのときなによりも問われるのは人間性なのだ。
その人間の価値を決めるのは自分ではない。他人によってなされるものであり、他人が下した評価こそが正しい。誰でも自分に対しての評価は甘くなるからだ。そして、人間はひとりでは生きてはいけない。
とすれば、謙虚さや素直さが求められるのは当然のことだ。ところが、たいがいの選手は社会にふれてないから、しかも甘やかされてきているから、そうしたことに気がつかない。であるならば、監督は選手たちにそれを教えなければならないのである。「人づくり」が監督の仕事でもっとも大事だというのは、そういう理由なのだ。その意味で、いくら野球の技術や知識にすぐれていても、人間教育ができなければ「名監督」と私は呼びたくはない。

プロ野球は、たしかに「勝てば官軍」の世界。結果がすべてである。多くの監督が選手をほめておだてて気分よくプレーさせたり、他球団の有力選手をかき集めたりするのは、ここにも理由があり、だから、極端にいえば私生活がどうであろうとグラウンドで成績を残せば選手は何もいわれない。
しかし、結果の裏側にはプロセスがある。よい結果というものは、きちんとしたプロセスを経るからこそ生まれると私は信じている。よい結果を出すためには、どういうプロセスをたどるかが非常に重要だと考えている。きちんとしたプロセスを経ないで生まれた結果は、それが数字的にどれだけすばらしいとしても、たまたまだ。ほんとうの実力ではない。
「鈍感は最大の罪」と私はしばしば口にする。感じる力を持っていなければ、眠っている素質を開花させることはできないし、技術的にも精神的にもそれ以上の成長はありえない。だから「感性を磨け」と常日頃から選手にもいい聞かせているのだが、感性にすぐれた選手は必ず伸びる。これは私の長年の監督生活でわかった真理である。
これは監督の立場から考えれば、いかに「気づかせるか」が大切だということになる。すべて教えてしまっては、選手は気づかないし、気づく力を獲得することもできない。「監督は気づかせ屋」であると私がいっているのは、ここに理由がある。
監督は、ヒントを与え、選手が自分自身で気づくよう仕向けなくてはならない。そうすることで「何が悪いのか」選手は考える。「どうすればよくなるのだろう」と試行錯誤する。その過程で技術が進歩し、人間としても成長していくのである。まさしく「人はプロセスでつくられる」のだ。

大学案内研究:上野学園大学・短期大学

上野学園大学・上野学園短期大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
名前の通り東京・上野駅から歩いてすぐのところにキャンパスが置かれている。1904年石橋蔵五郎が設立した私立上野女学院が母体となっている。戦後女子高等学校が設立され、1952年に短期大学が設置、1958年に4年制大学が設置されている。1995年には4年制大学に国際文化学部が増設されている。しかし当初から学生が集まらなかったのであろう、10年後の2004年に音楽・文化学部に変更され、2010年に消滅している。現在は演奏家コース、器楽コース、声楽コース、ミュージック・リサーチ・コースからなる4年制音楽学部と、短期大学が置かれている。しかし放漫経営のためか、いたずらに大学の規模を大きくしたために、学生募集は苦労しているようだ。親族経営が続き、客観的な経営判断ができなかったのが原因であろうか。
学生が少ないためか、派手なコンサートや大編成のオーケストラはあまり盛んではなく、少人数教育、個別指導を売りとしている。
専門学校と代わり映えせず、大学という雰囲気は感じられない。「師事」という言葉が多用される顔写真入りの教員紹介のページは他大のパンフレットと同様丁寧に作られている。
学生寮の紹介でワンルームの部屋にドデンとグランドピアノが鎮座している写真が、音大生の生活が垣間見えたような気がして妙に印象に残った。

『けちゃっぷ』

第45回文藝賞受賞作、喜多ふあり『けちゃっぷ』(河出書房新社 2008)を読む。
ケータイのブログでしか会話できない引きこもりの女性と、ブログのコメントで知り合った「空気読み過ぎ」な男子大学生の奇妙なやり取りの小説である。
主人公の女性がケータイ片手にブログに妄想やら感想、欲求を実況生中継で書き込んでいくことでコミュニケーションをとるという設定の実験的な内容である。現実世界に対応できずネットに依存していく若者や、不安定な人間関係などがストーリーの背景となっているのだが、話の展開にすっと入り込むことができなかった。