月別アーカイブ: 2013年11月

「道徳の『正解』とは」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」は秀逸だった。昨日の「ブロレタリア文学と現代」と同じ人の筆であろうか。文体が良く似ている。

石原千秋が『国語教科書の発想』などで繰り返し批判してきたのは、教科書が作品の多様な読みを展開するためでなく、道徳的な面から見たただ一つの正解に向けて用いられているという教育の現状だった。「こころ」も「舞姫」も、みな「国語」よりも「道徳」を教えるための材料として使われている、というのだ。
批判は、そのことが教師の側でも自覚なく行われていることにも向けられているのだが、たしかにそうだとしても、優れた文学作品に道徳を考えさせる力が内在していることもまたたしかなことだ。そうした作品を扱うときに道徳の問題に触れない方が難しい。だから、問題は「ただ一つの正解」というところにある。
その点、「道徳」が教科化されて、「一つの正解」を教え込まれることの方がよほど恐ろしいのではないだろうか。優れた文学作品には必ず多様な立場、異なる考えを持つ人々が登場する。彼らの繊細な内面を丁寧に推察する、という訓練抜きに、ただ「あるべき道徳」を教え込み、そこで成績をつけるとしたら…。道徳教科化の推進派は、そういう教育によって取り返しのつかない失敗を引き起こした歴史を忘れてしまったのだろうか。「道徳」よりも「歴史」を学び直すのが先だ。(自国民)

県民の日

本日は県民の日で子どもたちの小学校も幼稚園も休みだったので、昼過ぎから家族で牛久の大仏と阿見プレミアムアウトレットに出かけた。
ちょうど昨年の県民の日も同じ時間帯に同じ場所に出かけており、2年連続の大仏参りとなった。
忙しい日々が続いたので、のんびりと子どもたちと過ごすことができストレスの解消となった。

 

 

 

 

大学案内研究:東京女子体育大学

東京女子体育大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
JR南武線の西国立駅から徒歩8分の場所にある。埼玉東部地区からは少々分かりにくい場所である。
1902年に小石川区に設立された「私立東京女子体操学校」を母体とする。1922年に設立された日本女子体育大学の母体である「二階堂体操塾」よりも古い歴史を持つ。1921年に吉祥寺に移転され、1950年学制改革により東京女子短期大学として出発している。1961年に現在地の国立に移転され、翌年4年制大学が開学している。現在は
4年制の体育学部体育学科と、保健体育学科と児童教育学科を擁する短期大学が同じ敷地内に設置されている。

「極:技術力を磨く。動きが変わる。」「匠:指導のプロと現場で学ぶ。」「伝:学び合い、教え合う。」「凛:伝統が創る。空気をまとう。」の4つのキーワードを教育スローガンとしている。
新体操やバレーボール、フェンシング、ソフトボールなどの競技でオリンピックに出場している。教員採用試験の女性現役合格率が体育系大学トップクラスにあり、短大からも教員採用試験にチャレンジする学生が多い。
4年制大学の方は入学定員300人と小規模なので、日体大のように種々の強化コースを設けるのではなく、選択科目を増やすことで、学生のニーズに応えている。2012年度より、3年次から6つの専攻コースが用意され、履修パターンを決めやすくなっている。
東女体の特徴は、4年制と短大の区別無く、部活動の時間と環境が用意されていることであろう。特に短大の学生は保健体育学科でも児童教育学科でもサークルや部活動に集中することができる。

昨年までは入試倍率も1倍ちょっとであったが、2013年度入試ではいきなり2倍にまで跳ね上がっている。4年制大学志向の強まりであろうか。

「プロレタリア文学と現代」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」に、「プロレタリア文学と現代」という題の文章が載っていた。
ちょっと古いなあと思ったが、プロレタリア文学を卒業論文に取り上げた私は「プロレタリア」や「セメント」「プロパガンダ」といったカタカナ用語に目が行ってしまう。筆者が指摘しているように、「共産党文学」という「大看板」を背負った作品よりも、「庶民の生活実感」を描く「何気ない」プロレタリア文学の評価が求められているのであろう。

「飢えた子どもたちを前にして文学は何ができるのか」。サルトルの有名な言葉だ。カミュとマルクス主義をめぐっての論争も、いまや昔日の感がある。芸術は革命のためのプロパガンダという社会主義リアリズムの主張は、どう見ても過去の遺産だろう。
ふりかえると、日本では1920年代から30年代に前半にかけて、労働者の過酷な現状を活写するプロレタリア文学が登場した。小林多喜二「蟹工船」、徳永直「太陽のない街」、葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」などが代表格。東西冷戦終結後の90年代を境にプロ文は消滅したといわれたが、5年前には「蟹工船」ブームも起きている。
最近、森話社から全7冊の予定で「アンソロジー・プロレタリア文学」の刊行が始まった。『①貧困−飢える人びと』には多喜二や宮本百合子などの13人の作品が並び、有名ではない作品も多く興味深い。いまなぜ「プロレタリア文学」なのか。社会主義の宣伝手段や善悪二元論ではなく、働く者の汗や涙の真実に迫り、人の心の奥底や内面を見つめる文学の誕生を望みたい。格差社会、ブラック企業、非正規雇用、原発事故処理現場の実情など、新しいプロレタリア文学がたくさん出てしかるべき時代だと思う。(反抗的人間)

『結婚案内ミステリー』

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地上波で放映された、渡辺典子・渡辺謙主演『結婚案内ミステリー』(1985 東映)を観る。
赤川次郎原作ということもあり、始まりが「ハイカラ(古いか)」な感じだったので、ポップな感じの映画かと思い見始めた。
しかし、渡辺典子さんの笑顔輝くシーンは僅かで、途中から雪深い別荘の隠された部屋で暮らす息子の存在が明らかになるなど、横溝正史ばりの昭和のドロドロした人間関係ドラマといった色が濃くなる。アイドル映画なのかミステリー映画なのかよく分からず、中途半端に終わっている。
準主役の渡辺謙さんの若さに目が釘付けであった。先日、『許されざる者』という時代劇の映画で老けた武士役を演じていたのを観たので、そのギャップに驚きであった。