小関智弘『ものづくりに生きる』(岩波ジュニア新書 1999)を読む。
大田区の旋盤工として長く働いてきた著者が、近隣のものづくりの現場を紹介しながら、そこで働く人たちの仕事へのプライドや生き甲斐を語る。決して分かり やすい文章ではないが、木訥と語る著者の実直な思いが伝わってくる。
特に印象に残った一節を引用してみたい。
工業製品には、個性があってはならない。これが工芸品や芸術作品なら、許されるどころか、個性はなくてはならない。着物や木工 家具のように職人が作るものも、個性が尊重される。着物や洋服を仕立てる職人も、家具を作る職人も、他の人とはひと味もふた味もちがったものを作ること に、心を砕く。しかし工業製品は、個性を求めないどころか、排除しなければならない。
それなのにわたしは、工場で働く人たちを職人を書いてきた。わたし自身は、コンピュータ機能をもった旋盤を使いながら、自分を旋盤職人と呼んでいる。
なぜか? 削るものは限りなく無個性なものをめざす。しかし、無個性なものを作るために、工場の職人たちは、どのような方法で、どのような道具を使うか イメージし、工夫する。ものを作るプロセスは、自由である。結果として、早く正確なものができればよい。それを作るプロセスでは、個性を発揮することがで きる。無個性なものを作るためにも、個性が大事だから、職人だといえる。
職人とは、ものを作る手だてを考え、道具を工夫する人のことである。
それをしないで、与えられた道具を使って、教えられた通りの方法でものを作る人は、単なる労働者にすぎない。あるいはもっと極端にいえば、単なる要員に すぎない。要員とは、いつでも他の人にとってかえることが可能な役割を担うような人をさして言う。
技術は作られたものに現われるが、それを作る人間の個性は、そのものを作る過程にもっともよく現われる。