日別アーカイブ: 2011年2月20日

『都市という廃墟』

松山巌『都市という廃墟』(ちくま文庫 1993)を読む。
ずいぶん長く本棚に眠っていた本を引っ張り出してきた。おそらく十数年眠っていたことであろう。先日、『ファスト風土化する日本』という本を読んだことに刺激を受け手に取ってみた。
雑誌「新潮」の1987年1月号から12月号まで連載された文章に手直しが加えられたものである。芦屋や札幌郊外、都心から40キロの町田や八王子、松戸などの新興住宅地で、犯罪や自殺、孤独死などが頻発するという事態を都市計画や建築、三島由紀夫の文学から検証を加えるという面白い企画である。また、それ以外にも、原宿やディズニーランド、鹿島灘などを訪れ、生活環境と人間の心理・行動について考察を深めている。
三島の作品をほとんど読んだことがないので、三島の予感と現代社会の風景との類似の部分はあまり理解できなかった。しかし、印象に残った筆者の言葉を引用してみたい。

つくばセンタービルから岩槻のモーテルまで、そこに共通するような、すべてが断片化し、相対化された社会を私たちが実感するのは、確かに1968年を過ぎてからであろう。しかし、それはラディカリズムの時代を「乗り越えた」結果とはいえまい。そもそもあのラディカリズムそのものが今日の出発ではなかったのか。すなわち、すべての価値が相対化し、自分自身を見失い始めたからこそ、学生たちは世界の変貌を叫んだのだ。
そして彼らが予感したとおり、到来したのは(中略)すべては断片化されて、自己と他人との差がつかぬ合せ鏡のような、「意味を欠き、法則性を欠い」た世界であった。ポストモダンの状況とは果てしなく謎を求める建築が生まれるような事態ではなく、まったく謎も存在しえない断片の世界なのではないのか。どこの町や市でも同じような文化センターが作られ、しかもさして使われぬという“文化”という言葉だけがもてはやされる状況がある。筑波学園都市を訪ねて感じたのも、実はこの謎のなさであり文化という言葉の独り歩きであった。

地上げによって消えて行くのは「人間の作った最も親しみやすい一つの思想」である町なのだ。なぜ町は一つの思想なのか。人は町に生まれ、育ち、やがて死ぬ。そしてそこから生きる方法を学ぶからだ。ものが作られ、流れ、使われ、再生していく。町にはある秩序が存在し、それがどのように繋がり、動き、生きているかを人は悟り、自らをも更新して行くからだ。昭和61年の1年間に都区内部の公衆浴場が三十八件廃業した。比較的まとまった敷地をもつから底地買いに狙われるのである。結果、居住者は減り、魚屋、八百屋、米屋、豆腐屋が消え、そして町が亡ぶ。