小浜逸郎『人はなぜ結婚をするのか』(草思社 1992)を読む。
随分長く、自宅の本棚に眠っていた本である。教材研究の一助として手に取ってみた。
筆者は、自身の20年に及ぶ結婚生活で感じたことを深く社会学的・哲学的に掘り起こす作業を試みる。結婚の定義に始まり、結婚生活の段階、そして、家事や生活費、子育て、夫婦げんか、不倫などの結婚生活の諸相を丁寧に論じている。結婚生活とは極めて社会的な営みでありながら、極めて個人的な閉じられた関係性でもある。誰しもが経験する、もしくは考えることでありながら、全くの個別的かつ流動的な事柄でもある。章中で何度か、下記のような結婚の定義を試みるが、結婚は自身の生のありようと関わってくるので、決定的な定義はできないと筆者自身も最後は白旗を揚げる。
- 結婚とは、一人の相手と永続的な結びつきを宣言・公表することから出発するエロス的活動である。
- 「結婚する」とは、一人の相手との永続的な結びつきとその社会的承認を通して、自分を生の有限性のほうに引き寄せることを決意することである。
- 周囲に公表し承認してもらうという外なる儀式性と、自分たちが自分たちの決意の意味を確認するという内なる儀式性-結婚に踏み切るということには、もともとこのような二重の意味が含まれていたのかもしれません。
- 結婚は、まだ見ぬ日常性への飛躍であり、実存的な変容をわが身に引き受ける決意なのです。迷いはあって当然、迷わぬ結婚などありえない。しかし、最終的には、迷ったってしょうがないのです。
- 結婚生活とは、まさに常識と凡庸さとが支配している世界です。