本日の東京新聞夕刊の文化欄に京都精華大学教授の池田浩士氏のインタビュー記事が掲載されていた。懐かしい名前だと思いながら読んだ。
池田氏のコメントを引用してみたい。
ユダヤ人の虐殺など歴史を被害者の側からだけでなく、加害者の視点も含んで考える必要があると思います。ナチズムは自民族に伝統の力をもたらし、世界史の主流であった国際的な社会主義に異を唱え、それらを超モダンなラジオや映画というメディアを駆使して巧みに情宣した。そういう感性に変える創意の力に人々は抵抗できなかったのです。
ナチズムは失業を解消し、ボランティアや強制労働で国力を盛り返し、現実的な閉塞も取り除いてきました。就職氷河期や外国人労働者に3Kの仕事を任せている今の日本社会とどこか似ているんです。
人間は一所懸命に生きていると、かえって現実がみえなくなることがある。ナチズムの時代に生きて『希望の原理』を書いたブロッホは、不安や陶酔に足をすくわれがちな今という時間の闇ではなく、覚醒した未来を立脚点として歴史や社会を考えました。ホロコーストに行き着くのを避けるためです。
最後に、インタビュアーの大日方公男氏は、池田氏の長年にわたる全体主義批判の研究に触れながら次のように述べる。
国民のなかで文化や伝統の厚みを持ち、多数派の感情を占有し、暗黙の合意とされてきたものに向け、文学の想像力がどこまで拮抗できるか-。ナチズムの歴史や表現にも、死刑制度の問題にも、日本人の無意識までかたちづくる天皇制に関しても、文化の虚構性を解体するという批判が生きている。そうした作業が池田さんの評論活動の中心にある。天皇制については先ごろ、『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(現代企画室)を出している。
「具体的な生活や日常とカイリした借りものの思想や、現実を隠蔽した歴史のなかで批判的想像力が掴まえられてしまうのでは意味がありません」