月別アーカイブ: 2010年8月

山形一人旅〜1日目

12日の夜に、イスラム教徒が聖地メッカを巡礼するように、オタクが鷲宮神社を巡礼するように、一応国語科教員の端くれとして、『奥の細道』で俳句が詠まれた聖地に五体投地で訪ねたいと思いに耐えきれず、夜の9時に春日部を出発した。
新4号を北上し、宇都宮から県道63号線を突っ走り、ぶつかった先の国道121号線を今度は川治温泉を駆け抜け、深夜2時過ぎに会津田島駅に到着した。駅前の駐車場で車中泊。
朝7時に目が覚め、ここから民族ならぬ私一人の大移動となった。会津田島駅のコンビニで朝食を済ませ、国道121号線を北上。会津若松は来たことがあるの で、そのまま通過。そして、米沢で少々早い昼食となった。駅前で本県産牛肉の入ったビーフカレーを食すも、100%と断言できるほどのレトルトの味。米沢 の本屋で東北の地図を買う。それまで関東甲信越の地図であったので、米沢が北限であった。ロールプレイングゲームなどでありがちな旅の地図を手に入れた気 分。

途中、ラジオから「あっては困る、なくては困る」とのキャッチコピーが流れる。何のCMかと耳を凝らすと、葬儀場のCMであった。陳腐ではあるが、なかなか上手いと思う。
米沢北インターから高速道路無料社会実験中の米沢南陽自動車道に乗る。そして今度は山形上山インターから山形自動車道に乗る。
無料で高速道路を利用するというのは、頭では分かっていても、実際、これまでの車移動の常識が崩されてしまい不思議な気分である。
山形市内を大きく迂回し、山形北インターで降りる。今回の旅の目的である山寺立石寺を参詣する。

静かさや岩にしみ入る蝉の声

芭蕉はそう句に詠んだが、
炎天下の中、なかなか正体を見せない「奥の院」まで、数百段もの階段をひいこら言いながら上りながら思い浮かんだ一句。

瀑漠と岩にしみ入る供の汗

旧約聖書で「バベルの塔」であまりに高いところに建物を建設した人間に対して、神は罰を与えたが、この立石寺で仏は仏罰を与えないのだろうかと疑問になった。

山寺の芭蕉像

山寺の曽良像

険しい山寺の階段

山寺の奥の院

『アンパンマンとブラックノーズと魔法の歌』

娘と一緒に、春日部ララガーデンで、やなせたかし原作『アンパンマンとブラックノーズと魔法の歌』を観た。
見るからに性根の悪い闇の女王ブラックノーズと、一方で性根の優しいヒナ鳥の化身カーナと、いつものアンパンマンたち、バイキンマンたちとのどたばた劇である。

『アサッテの人』

第137回芥川賞受賞作、諏訪哲史『アサッテの人』(講談社 2007)を読む。
青年期にありがちな「世間一般の幸せ」を否定しようとするあまり、不可解な言葉を発し、行方不明になってしまった叔父に関する、一作家によるルポルタージュという形式で小説は展開される。
あらゆる芸術や文化-特にお笑いなど-は、定型化されることをおそれ、独創性を重視するのだが、そうした「作為」すら定型化されてしまう悲哀がテーマとなっている。
いかにも新人の純文学の登竜門である(であった?)芥川賞らしい作品であった。

『奥の細道を歩く』

中山惣次・中山豊子『奥の細道を歩く:〈還暦からの挑戦〉二千キロ道中記』(まつ出版 1997)を読む。
タイトルの通り、定年になってから体力の強化に努め、東京千住から岐阜大垣までをすべて自分の足で踏破する2ヶ月弱の奮闘記である。途中数カ所で妻や姉妹、甥が同行しサポートするが、基本的には著者一人で忠実に300年前の芭蕉の道を辿る。車に荷物を積み、一度自分の足で歩いて、電車で戻り、さらに車で到達先の宿泊先に停めるという大変手間のかかる方法で旅を続ける。古文の解説書にありがちな「上から目線」ではなく、ごく普通の人のおじさんの目線で風景を捉え、そこで生活する人々との交流が描かれる。
読んでいるうちに、私も芭蕉の目指したという歌枕、とりわけ芭蕉にとって一番の目的地であったといわれる「象潟」に行ってみたくなった。