本日の東京新聞社説に、「迷走『普天間』の教え」と題された社説が掲載されていた。
普天間問題における鳩山首相の迷走ぶりを批判した上で、次のように述べられている。
普天間問題で鳩山政治に最も欠けている点は、日米安保条約改定から半世紀を迎えて「日米同盟は日本の安全確保と同時に、世界平和にどう貢献できるのか」と いう大局論と、それを踏まえての「在日米軍基地のあり方」「自衛隊などの対米協力のあり方」という各論の詰めではないでしょうか。
本来なら昨年11月、オバマ米大統領が来日した際、「トラスト・ミー(私を信頼して)」といった情緒的な会話でなく、日米双方の政権交代を受けて「まず は大局論での意思疎通を深め、その上で沖縄の負担軽減を含めて各論の安全保障見直し論議に入りたい」と提案し、大統領の同意を取り付けるべきだったのでは ありませんか。
(中略)鳩山首相は「学べば学ぶにつれて米海兵隊の役割、抑止力維持(の大切さ)が分かった」と言いますが、とことん悩むことも指導者の姿勢として大事でしょう。
今からでも遅くはありません。鳩山総理、掛け違えたボタンをもう一度整え直してください。「五月末決着」が延びても日米同盟が崩れるほど今日の両国関係は、柔くはないと思いますよ。
まさに、その通りであると思う。ここ数年の大手マスコミによる「北朝鮮は危険な国」報道によって、鳩山総理の口にする「抑止力」なる言葉がすっかりと市民権を得てしまった。沖縄に駐留する海兵隊の存在そのものが地域紛争を「喚起」している現実をねじ曲げて。
この普天間問題を鳩山総理の資質そのものに求めていくマスコミの報道もどうかと思う。そもそも沖縄に基地が固定化されているというのは、1960年、 1970年の日米安保、1990年代後半の日米ガイドラインに端を発する問題である。しかし、それを鳩山総理の「言葉」にだけ問題を焦点化するのは、本質 的な問題から目を背け、恣意的に米国の一人勝手な世界戦略に与するのと同じである。
米軍基地は速やかにグアムでもどこでも帰ってもらうべきである。最悪は、県外である硫黄島でも良いではないか。そしてその代償として、日本には米軍基地へ の思いやり予算以上の平和外交をする覚悟が求められるのである。日本国憲法に規定された平和の象徴である天皇などは、今こそ右翼の力をバックに、米軍に 「ノー」を突きつけてほしいものである。