日別アーカイブ: 2010年5月16日

『私の個人主義』

夏目漱石講演集『私の個人主義』(講談社学術文庫 1978)を読む。
主に明治44年の夏、関西で開かれた朝日新聞の主催による一連の講演に、書き直しが加えられたものである。
「道楽と職業」「現代日本の開花」「中身と形式」「文芸と道徳」「私の個人主義」と題した5つの講演が収められており、それぞれに明治維新以後40数年経った日本人や日本社会・文化の再定義という形をとっている。
この中で「道楽と職業」に採録された次の一節が気になった。100年以上前の文章であるが、現在大学で大流行の「就職支援」「ライフデザイン」の説明のようである。漱石の先見の明を感じる。

そ れで我々は一口によく職業といいますが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に殖えているかということを知っている人は、恐らく 無いだろうと思う。現今の世の中では職業の数は煩雑になっている。私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えたことがある。建議 しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。何故だというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。勿論天下の秀才が出るものと仮定しまし て、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何か ないかと何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。
(中略)
ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるに極ってるし、また向こうでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨く行かないといつまでも結婚が 遅れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業に打付からなければしょうがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどうい うように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、職業の文化発展 の意味も区域も盛衰も一目の下に瞭然会得出来るような仕掛にして、そうして自分の好きな所へ飛び込みましたら洵に便利じゃないかと思う。