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『貧乏人大反乱:生きにくい世の中と楽しく闘う方法』

松本哉『貧乏人大反乱:生きにくい世の中と楽しく闘う方法』(アスペクト 2008)を読む。
法政大学生時代に7年間にわたってアナーキーな活動を楽しみ、卒業後はその活動の拠点を「街」に移し、高円寺の商店街でリサイクルショップを営む34歳の著者の酒場での「語り下ろし」という形をとった「自伝」である。
著者の松本くんは、学生時代に中核派の学生が大学当局と大乱闘をしている姿を目の当たりにし、学生大衆たちが結集して大学当局との力関係を逆転することに興味を覚えた。そして「法政の貧乏くささを守る会」という活動を主催し、「こたつ闘争」や「なべ闘争」といった祭り的なノリで、既成の新左翼とは違う運動を展開する。そして卒業後は紆余曲折を経て、高円寺に「素人の乱」という近隣とのコミュニティーを大切にしたリサイクルショップを出店し、現在は7店舗にまでその活動が広がっている。
破天荒なデモを何度も行ったり、杉並区議会議員選挙に出馬したり、消費社会に囚われず自ら楽しみを生み出していくバイタリティは、学生時代よりも強化されている気がする。今後も彼の活動に注目していきたいと思う。
彼は現在の自分の置かれている社会状況、そして展望について、次のように語る。

いまの世の中は確かにひどい。でも、「その隙間を縫って、どうやって賢く生きていくのか」という、規則の厳しい高校に通う生徒みたいな考え方だけは絶対にしたくない。お目こぼしで生きて納得するような、優秀な奴隷でありたくない。やはり、何かを突破したい。そのためには、何度も繰り返しになるけど、自分たちの空間は自分たちの手で作るしかない。

今の世の中は、人と人とのつながりが希薄になっているから、貧乏人が個別に分断されて、政府や企業に人々が牛耳られていると思う。ゴミのポイ捨てにまで罰則が科せられるくらい、政府がお節介になっている。それをコミュニティーという感覚で考えれば、日本はかなり末期的な状態にある。自治もコミュニティーもへったくれもない。江戸時代のほうがどれだけレベルが高かったという話だよ。

日本は先進国で金持ちだから豊かな国だって、みんな勘違いしていると思う。どこが豊かなんだ!? 全然、豊かな国じゃない! むしろ経済的に三流、四流の国になっちゃえばいいと俺は思っている。日本が世界から相手にされないほど貧乏でマヌケな国になれば、自分たちのことは自分たちでやるという強力なコミュニティーが、草の根で作られていくはず。それくらいの世の中にしないと、競争社会であぶれた奴らがどんどん死んでいく社会からは脱却できない。

こういう話はすごいとっぴに聞こえるかもしれないけど、俺はけっこう現実的に考えている。むしろ、かつての学生運動や左翼運動みたいに、権力をぶっ壊して新しい権力を作ろうという考え方のほうが、ずいぶん気の長い話で、現実的でないと思う。権力を倒さなくても、自分たちのできる範囲で「革命後の世界」を作る。自分がやりたい生き方のモデルケースを、こっち側から先に提示する。そうやって好きなことを勝手にやる人たちがあちこちで出てくれば、日本はもっともっと面白くなると思う。

『童貞』

酒見賢一『童貞』(講談社文庫 1998)を読む。
なにやらいかがわしい内容を連想させるタイトルであるが、出版はフランス書院ではなく講談社である。中身はアダルト小説ではなく、中国の神話を基にしたファンタジー小説となっている。
「河」の辺にある男尊女卑の邑に住んでいた美少年の男が、河の女神を犯し、勢いで母娘を殺戮し、各地を彷徨する途中で「江」に一族のルーツを持つ娘と出会い、生涯を共にすることを誓うという大団円で話は終焉する。「作者蛇足」によると、夏王朝の伝説的な帝である禹に纏る神話を基にしているそうだ。ちょうど『古事記』の日本武尊の伝説を読んでいるような読後感を持った。

本日の新聞から

本日の新聞やテレビで、愛知県にある不登校の生徒の支援を掲げた全寮制の私立黄柳野高校の喫煙の問題が大きく報じられた。報道によると、この学校は約3割の生徒が喫煙をしており、学校側としてもやむを得なく生徒寮に「禁煙指導室」と名付けた喫煙室を設け、喫緊の火災やマナー違反を防ぎ、長期的な視野で禁煙指導を行なっていたそうだ。
この問題に対して教育評論家尾木直樹は、教育の範囲を逸脱していると述べていた。外部からはああだこうだと言えるだろうが、生徒の喫煙に対して正面から向き合おうとする校長を始めとする教員側の思いを汲むべきである。全日制高校では続かなかった生徒を受け入れている学校であり、それなりの対応が求められ、、、、、、