日別アーカイブ: 2005年11月26日

〈老人福祉論〉

 介護保険制度は,これまでの高齢者福祉サービスと高齢者保健,医療,福祉サービスを再編成し,負担と給付が明確になる社会保険方式により,少子化によって家族介護が困難になっている中,社会全体で介護問題を担う制度を創設し,総合的な介護サービスを利用者の選択によって利用できるようにしようとするものである。また,介護保険法においては要介護状態になった者が「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」必要な介護サービスを提供することを目的としてあげている。

 介護保険自体の実施主体は市町村であり,寝たきりや認知症などの「要介護者」状態,または介護が必要となるおそれがあり日常生活全般のサポートが必要な「要支援者」状態の65歳以上の被保険者に対して保険給付がなされる。また,筋萎縮性側索硬化症やパーキンソン病のような特定疾病のある40歳以上の被保険者にも給付がなされる。その場合要介護状態にあるかどうか,その介護の必要の度合いを確認するために,被保険者は市町村において要介護認定の申請を行なう。そこで軽度の要支援状態から,重度の要介護状態の6段階に分類される。

 次にサービスの利用にあたって,サービスを計画的・効果的に提供していく仕組みとして,指定居宅介護支援事業者に配置されている介護支援専門員による介護サービス計画(ケアプラン)が策定され,利用者のサービスの選択と利用を支援することとなる。その際,介護支援専門員は計画を策定するにあたって要介護者の心身の状況や日常生活動作,家族の状態を分析しながら,多様なサービス計画を提供することとなっている。

 介護サービスは,大きく訪問介護やデイケア,ショートステイなどの在宅介護と,老人施設や老人性認知症疾患療養病棟などの施設サービスに分けられる。しかし,近年の地域での自立生活支援推進の流れを受け,在宅での介護サービスの充実が図られている。

 いずれのサービスを利用するにあたっても,費用の1割の利用者負担が決められている。そして,その財源は,40歳以上の国民が支払う介護保険と国や都道府県,市町村の公費負担で成り立っている。しかし,少子高齢化によるアンバランスな人口構成により,財源の確保は難しく,若年層に負担のしわ寄せが来ている。また,利用者の自立が向上したにも関わらず,要介護状態の度合いが固定化され,保険給付額の不必要な増加も指摘されている。

 今後益々民間企業の競争による介護サービスの多様化が臨まれるのは間違いない。しかし,安易な企業任せの介護認定がまかり通っては介護保険制度そのものがパンクしてしまう。団塊世代が65歳になる今後を鑑み,介護支援専門員を大幅に増やすとともに,厳正な認定を行なえるような人材の育成が求められる。

〈地域福祉論〉

 地域福祉法第4条は「福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み,社会・経済・文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられるように,地域福祉の推進に努めなければならない」と定めている。つまり,障害がある人も地域社会において障害のない人と同様に生活ができるノーマルな社会に向かって,要支援者を一人のトータルな生活者としてとらえる視点を持って,要支援者に対する様々な関わりを統合化していくことである。そして,そのような環境を作っていくにあたって,行政や福祉団体だけでなく,地域社会に暮らす住民の主体的な参加が可能な土壌が求められている。つまり,単に障害者の理解や思いやりを教育や地域で育むのみならず,国民一人一人が基本的人権を尊重し,日本国憲法に定める平等権や幸福追求権の主旨を理解し,傍観者的な態度ではなく,行動する力の育成が求められるということだ。

 地域においては,これまでの山奥の入所施設に閉じこめておくような「効率的」な福祉サービスではなく,今まで住んでいた地域で,できるだけ在宅を基本としたサービスが求められる。2005年に衆院で可決をみた障害者自立支援法案の第1条は「この法律は、障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とすること」と定められている。

 学校教育においては,文科省と厚労省の壁が反映してか,「福祉」という言葉は意識的に使われていない。福祉ではなく,「道徳」という言葉が通常用いられる。1998年に文科省が告示した学習指導要領では,道徳教育について「道徳教育は教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に活かし」,「家庭や地域社会との連携を図りながら,ボランティア活動や自然体験活動などの豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない」と述べられている。そして,現行の学習指導要領では,教育課程の編成において,「盲学校,聾学校,および養護学校との連携や交流を図るとともに,障害のある児童生徒や高齢者などとの交流の機会を設けること」と定められている。

 求められる福祉教育とは,知識として障害者や高齢者の姿を理解することではない。障害者や高齢者と健常者が共に文化的で健康的な生活を営むことができるような社会を作っていける「道徳性」を養うことである。

 参考文献
 一番ヶ瀬康子監修『教科書社会福祉』一橋出版,1997年

〈社会保障論2〉

(a)労災保険法の給付は,労働者が業務中,もしくは通勤途中に生じた負傷・疾病・障害または死亡が,業務遂行中に,かつ,業務に起因して発生したものであると認められたときのみ与えられる。その「業務上」の概念は,法律では明記されておらず,行政解釈に依拠する点が大きい。
 ア)のように,勤務中に生じた災害については業務上と認められ,給付の対象である。また,イ)の場合においても,労働者が使用者の施設管理下にある限り,なお使用者の支配下にあるものとして業務遂行中と認められる。ただし,発生した災害は原則として業務外とされる。
 出張のように労働者が用務について包括的に使用者に対し責任を負っていると考えられる場合は,出張過程に全般において使用者の支配下にあるものとして業務上のものと判断される。ただし,ウ)のように,出張の通常範囲内の私的行為(休憩や飲食等)を逸脱する場合は業務外とされる。
 労災法7条2項で「通勤とは,労働者が,就業に関し,住居と就業の場所との間を,合理的な経路及び方法により往復すること」と定められており,エ)のケースは業務上とされる。しかし,7条3項では「労働者が,前項の往復経路を逸脱,中断した場合においては,通勤としない。ただし,日常生活上必要な行為である場合は,この限りでない」とあり,オ)のケースは業務外と判断される。

(b)業務災害に関する保険給付は以下の7種類である。通勤災害の場合も業務災害の場合に準じた保護が与えられるが,使用者の労災補償責任として行われるものでないため,「補償」という文字が削られている。
療養補償給付:働いている人が業務上の災害でけがや病気になったとき,退職後も含めて療養を要する全期間,指定病院で治療を受けられる。
休業補償給付:業務上のけがや病気で休んで賃金が受けられない時,休業1日につき給付基礎日額の60%の給付を受けられる。
傷病補償年金:業務上のけがや病気が1年半たっても治らず,かつその傷病により,重度の障害状態になったとき,その傷病の程度に応じて給付を受けられる。
障害補償給付:業務上のけがや病気が治ったものの,身体に重度ないし中程度の障害が残ったとき,その障害の程度によって年金か一時金を受けられる。
介護補償給付:業務上のけがや病気により重度の障害状態にあり介護を必要とするとき,支給される。民間の有料の介護サービスなどや親族,友人,知人により現に介護を受けていることも受給の要件となる。
遺族補償給付:業務上のけがや病気により死亡したとき,給付を受けられる。遺族の条件によって,年金か一時金に分かれる。
葬祭料:業務上の災害により死亡した労働者の葬祭に際して,葬祭料が支給される。

参考文献
安枝英訷・西村健一郎『労働法〔改訂版〕』有斐閣,1990年

〈社会福祉原論2〉

 近年,社会福祉が計画的に推進されている。例えば1990年の「老人福祉法等の一部を改正する法律」により都道府県および市町村に老人福祉保健計画の策定が義務づけられている。また,「介護保険法」においては市町村に介護保険事業計画が,さらに「社会福祉法」の改正に伴って都道府県に地域福祉支援計画の策定が義務づけられている。地方分権の流れに伴い,地方・地域レベルで責任ある財政支出の裏付けとなる計画作成が求められている。
 これらの地方の福祉計画の基本となっている国レベルの主な計画として「ゴールドプラン21」「子ども・子育て応援プラン」「新障害者プラン」の3つが挙げられる。

 「ゴールドプラン21」は,2000年に作成され高齢者福祉全般の枠組みを決めたものである。高齢者が健康で生きがいをもって社会参加できる環境づくり,在宅福祉を基本とし介護サービスの量と質の両面にわたる整備と高齢者の尊厳の確保と自立支援,高齢者の生活全般を支援していくための,住民が相互に支え合う地域社会の形成,「利用者本位」の仕組みを基本とした利用者から信頼される介護サービスの確立の4つを基本目標としている。

 「子ども・子育て応援プラン」は2004年に作成され,少子化のみならず,若者が安心と喜びをもって子育てにあたっていくことを社会全体で応援する仕組みを作ろうとするものである。若者の自立とたくましい子どもの育ち,仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し,生命の大切さ,家庭の役割等についての理解,子育ての新たな支え合いと連帯の4つを基本目標として掲げている。若者の就労意識の確立や子どもの体験活動に始まり,育児休業制度,男性の子育て参加,子育てがしやすいワークシェアリング,就学前の教育・保育の充実など厚労省,文科省の省庁の垣根を完全に越えた施策が展開されている。

 「新障害者プラン」はライフステージの全ての段階において全人間的復権を目指すリハビリテーションの理念と,障害者が障害のない者と同等に生活し,活動する社会を目指すノーマライゼーションの理念の実現に向けて,2002年に作成された。社会参加する力の向上,地域基盤の整備,地域での共生,アジア太平洋地域における協力の強化,国民理解の向上,教育機関との一貫した相談支援体制の整備,雇用・就業の確保の7つの基本目標を掲げている。

 これらの計画は高齢者,障害者,育児といった自己責任のみに委ねることが難しい問題に関して,国レベルで自己実現と社会的公正のバランスが取れた社会形成に向け,数値目標を掲げ行動を期すものである。しかし,近年の財政難から計画の達成が先延ばしになっている。数値を挙げたにも関わらず,計画自体が流れては意味をなさない。国家全体のグランドデザインであるが,国民一人一人がそれぞれの階層において実現を目指さねばならないものである。

 参考文献
 一番ヶ瀬康子監『教科書社会福祉』一橋出版,1997年
 西村昇編『社会福祉概論』中央法規,2001年

〈社会福祉援助技術論2〉

 小集団活動として,小・中学校の学級クラスをとりあげて見たい。自由選択科目の導入や単位制による授業選択,さらに,固定化されたクラス編成が人間関係にゆがみを生じさせいじめの原因となっているなど様々な要因によって,昔ながらの学級がどんどん様変わりをしている。クラス活動の意義が問われることなく,「一人一人の教育」の美名のもとに学校の基礎集団であるクラスが破壊されているのが実情だ。

 そもそも学校のおける学級は,自分の周りに同様の作業を行なう人がいるだけで,作業量が増大する「社会的促進」が得られるという心理学者オルポートの分析に依拠している。それぞれが別の課題を行なうのではなく,皆が一斉に同じ作業をし,それを相互に認識し合う関係が作業の効率を高めるというのだ。

 大正八大自由教育の一人である手塚岸衛は,それまでの「教師と生徒」という縦の関係だけでなく,生徒同士の横の関係に注目した人物である。彼は,著書『自由教育論」の中で,「学級は男女別,児童は40人とし,教科担任制を加味し,持ち上がり主義を本則とし,経営は学級本位にして,之が責任は担任訓導にあり。訓導とは1学級教育担当の能力者なるをもって濫りに他の干渉を許さず」と述べている。40人というと現在では多い気がするが,当時はクラスが固定化されておらず,60人近く在籍することもざらであり,40人で一クラスを構成するというのは,当時としては極めて少人数教育体制であった。また義務教育といえど小学校段階で止めてしまう者も多く,学級の持ち上がり制は中退者を減らす防波堤ともなっている。手塚氏は,生徒同士,お互いがお互いを熟知しあう関係を築くことのできる学級こそが教育の原点であると述べているのだ。

 学級は単に生徒を40人ずつに区切るものだけでない。現行の学習指導要領のおいても,「学級や学校における生活上の諸問題の解決,学級内の組織づくりと自主的な活動,学校における多様な集団の生活の向上」など様々な活動を通して,「教師の適切な指導の下に,生徒の自発的,自主的な活動が助長されるようにすること」と意義付けられている。一つのクラスに波長の合う者もいれば,合わない者もいる,また,生徒だけでなく立場の異なる教師が多数関わる雑多な集団を押しつけられて,初めて社会性や集団活動における自分の位置を確認できるのである。

 近年,いじめや不登校,学級崩壊などに過敏になるあまりに,学級集団による活動を否定的に捉える風潮がある。また,個性を重んじるという題目を重んじるあまりに,生徒個人プログラムや能力別授業が行なわれている。しかし,多様な生徒が一所にいて,同じ作業を行なうということで,逆に自らのアイデンティティ探しにつながるのである。小集団活動の意義をもう一度再考する必要がある。