小集団活動として,小・中学校の学級クラスをとりあげて見たい。自由選択科目の導入や単位制による授業選択,さらに,固定化されたクラス編成が人間関係にゆがみを生じさせいじめの原因となっているなど様々な要因によって,昔ながらの学級がどんどん様変わりをしている。クラス活動の意義が問われることなく,「一人一人の教育」の美名のもとに学校の基礎集団であるクラスが破壊されているのが実情だ。
そもそも学校のおける学級は,自分の周りに同様の作業を行なう人がいるだけで,作業量が増大する「社会的促進」が得られるという心理学者オルポートの分析に依拠している。それぞれが別の課題を行なうのではなく,皆が一斉に同じ作業をし,それを相互に認識し合う関係が作業の効率を高めるというのだ。
大正八大自由教育の一人である手塚岸衛は,それまでの「教師と生徒」という縦の関係だけでなく,生徒同士の横の関係に注目した人物である。彼は,著書『自由教育論」の中で,「学級は男女別,児童は40人とし,教科担任制を加味し,持ち上がり主義を本則とし,経営は学級本位にして,之が責任は担任訓導にあり。訓導とは1学級教育担当の能力者なるをもって濫りに他の干渉を許さず」と述べている。40人というと現在では多い気がするが,当時はクラスが固定化されておらず,60人近く在籍することもざらであり,40人で一クラスを構成するというのは,当時としては極めて少人数教育体制であった。また義務教育といえど小学校段階で止めてしまう者も多く,学級の持ち上がり制は中退者を減らす防波堤ともなっている。手塚氏は,生徒同士,お互いがお互いを熟知しあう関係を築くことのできる学級こそが教育の原点であると述べているのだ。
学級は単に生徒を40人ずつに区切るものだけでない。現行の学習指導要領のおいても,「学級や学校における生活上の諸問題の解決,学級内の組織づくりと自主的な活動,学校における多様な集団の生活の向上」など様々な活動を通して,「教師の適切な指導の下に,生徒の自発的,自主的な活動が助長されるようにすること」と意義付けられている。一つのクラスに波長の合う者もいれば,合わない者もいる,また,生徒だけでなく立場の異なる教師が多数関わる雑多な集団を押しつけられて,初めて社会性や集団活動における自分の位置を確認できるのである。
近年,いじめや不登校,学級崩壊などに過敏になるあまりに,学級集団による活動を否定的に捉える風潮がある。また,個性を重んじるという題目を重んじるあまりに,生徒個人プログラムや能力別授業が行なわれている。しかし,多様な生徒が一所にいて,同じ作業を行なうということで,逆に自らのアイデンティティ探しにつながるのである。小集団活動の意義をもう一度再考する必要がある。