月別アーカイブ: 2005年8月

『体育原論』

永松英吉・水谷光壮共著『体育原論』(原書房 1987)を読む。
初版は1968年となっており、おそらくは大学の教科書として用いられていたのだろう。文章を読むだけで、この本を基に展開されていたであろう退屈な授業が目に浮かんでしまう。体育というものを何かしら意義付けようとすると結局はスポーツマンシップとアマチュアリズムの2点に行き着いてしまう。

スポーツマンシップとは、精神と身体は一体のものであるというギリシア的な人間観に基づき、肉体を鍛えることで健全な精神が鍛えられるというロジックである。それは、後世肉体は汚れたものだとするキリスト教的な人間観が蔓延り、肉体を鍛えることは悪だとされたローマ時代に、「健全なる精神の健全なる身体に宿ることこそ望ましけれ」と、ギリシアの全人的な心身の調和を理想とした詩人ユヴェナリスの風刺的な言葉にも表れている。
また、アマチュアリズムは、簡単にまとめると、競技そのものを目的化し、相手や審判、ルールを尊重する・させることで、善悪の判断や規範意識を身に付け、身に付けさせ、人間性の向上と、豊かな生活と文化の向上を期すというものだ。

勝敗絶対主義と商業主義にどっぷりと漬かりながらも、こうした仮面を被る姿勢を取り続けるところに、スポーツ・格闘技ではなく、体育・武道の意味があるのだろう。
この本ではあまり展開されていないが、国家権力がどのように体育・スポーツを位置づけてきたかという視点で体育の歴史を俯瞰するというのは面白い研究になるであろう。体育は人間の身体そのものと密接に関わるものであるため、時の政府による体育の位置づけには、国家権力のむき出しな姿が顕れてくるはずである。

闘道館

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東京新聞記事
水道橋駅南には格闘技関連の店がいっぱい。中でも闘道館=電03 (3512) 2081=は書籍と雑誌に強い店だ。「最近、力道山の写真が豊富に使われた昭和三十年代のプロレスかるたを入手した」と泉高志館長が興奮気味に話してくれた。
(左似顔絵)

本日の東京新聞の後楽園周辺を紹介した記事に、私の大学時代の友人が経営する格闘技グッズを扱う「闘道館」が紹介されていた。「ニッチ」をうまく嗅ぎ分ける商才があったのか、格闘技ブームにうまくのり、経営も順調なようだ。格闘技に興味がある人は、是非立ち寄ってみてください!

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『アイドル政治家症候群』

矢幡洋『アイドル政治家症候群:慎太郎、真紀子、康夫、純一郎に惹かれる心理』(中公新書ラクレ 2003)を読む。
テオドア・ミロンの人格障害理論に依拠し、日本で人気を集める政治家の心理と、その人気の仕組みの分析を試みる。日本人は、共同体内部においては気配り上手で、万事にきちんとし、忍耐力のある苦労人という調整的で同調的なパーソナリティを持った人間を理想としてきた。しかし、抑うつ的な雰囲気が社会全体を覆うにつれて、共同体の外の集団に対しては独断的で破壊的な強烈な自分意識を持った人間を希求するようになる。そうした時代の雰囲気に小泉総理や、田中真紀子議員、石原、田中知事がうまく乗っかったと著者は評する。著者の分析は政治評論の立場ではなく、あくまで人格分析に基づくので、発想が新鮮である。例えば石原都知事については、権力の中枢を浮遊しながら、あくまで彼の行動判断の基準に「反社会性」が貫かれていると述べる。一方で、鈴木宗男議員は熱血漢を売りにしながらも、あくまで自説の論理の整合性で持って相手をねじ伏せようとする攻撃性を有すると著者は結論付ける。本人に対する取材はなく、本人のマスコミでの発言や著書からの分析であり、牽強付会な箇所も多いが暇つぶしには良いだろう。

『姑獲鳥の夏』

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京極夏彦原作・実相寺昭雄監督『姑獲鳥(うぶめ)の夏』(2005 ヘラルド)を観に行った。
昭和20年代の戦後の混乱期の人間模様がテーマの作品で、時代の雰囲気がよく表現されていた。しかし、話しの展開はテレビドラマの域を越えるものではなく、映画館で観るほどのものではない。昨年放映していたフジテレビのドラマ『アットホーム・ダッド』に出演していたメンバーが何人も出ていて、変な先入観を持ってしまった。
雨上がり決死隊の宮迫は完全に俳優業が板についたようで、演技もうまかった。しかし、作中の久遠寺「涼子」と篠原「涼子」は何かしらの関係があったのだろうか。

世界陸上を見ながら

今日でやっとここ数ヶ月の寝食もままならないほどの忙しさからしばしの間解放された。特に7月上旬以降、気持ちの休まる日がなく余裕のない日々を過ごしていた。今週はゆっくり休んで、また来週以降の忙しさに備えよう。

今日は夜に少しTBSテレビの世界陸上を観た。実際の競技のシーンよりも、昔のビデオや練習風景などの前振りが長いのには閉口した。また、K−1やPRIDEの影響だろうか、やたら選手に紹介のキャッチフレーズが入るのが気になる。ちなみにTBSテレビのホームページを検索したらわざわざ日本の全選手と海外有力選手百数十名にキャッチコピーを冠している。中には首をかしげたくなるようなものまである。あまりのセンスの悪さに笑ってしまうものまである。お盆で暇があったら一読してみると、お盆開けの話のネタになるかもしれない。早速ホームページから一部引用してみた。

最速伝説の継承者       ジャスティン・ガトリン(アメリカ)
草原の黄金狩人        エリウド・キプチョゲ(エチオピア)
スカンジナビアの跳躍貴公子  クリスチャン・オルソン(スウェーデン)
ウガンダのジャンヌダルク   ドカス・インジクル(ウガンダ)
室伏に忍び寄るヒットマン   イワン・ティホン(ベラルーシ)
室伏を迎え撃つヘルシンキの星 オリペッカ・カルヤライネン(フィンランド)
ローマの最高傑作       ステファノ・バルディーニ(イタリア)
ドミニカンスーパーマン    フェリックス・サンチェス(ドミニカ)
かっとびパリジェンヌ     ユニウス・バルベール(フランス)
弾丸ママはパリジェンヌ    クリスティーン・アーロン(フランス)

ガトリンの「最強伝説の継承者」くらいならまだ許せるが、「室伏に忍び寄るヒットマン」だの、「室伏を迎え撃つヘルシンキの星」というネーミングを選手当人は許諾しているのだろうか。TBSの良識を疑うところである。「ローマの最高傑作」「ドミニカンスーパーマン」「弾丸ママはパリジェンヌ」に至っては明らかに考案者のネタ切れである。露悪なペットネームをいたずらに付けることは、逆に変な先入観を持って選手を見ることになってしまい、選手に失礼な気がして仕方がない。