月別アーカイブ: 2003年1月

『水で血液サラサラ』

別冊宝島編集部編『水で血液サラサラ』(宝島新書 2001)を読む。
脳血栓や心筋梗塞といった成人病は高血圧や糖尿病、肥満などの生活習慣病が起因とされているが、その大本の原因は血液にあると作者は断言する。つまり発汗等によって血液中の水分が不足するために、血液がドロドロになり、動脈が硬化し様々な病気を生むというのだ。そのため一日2リットルを目標に水分—体温に近い真水が一番身体に良い—を補給したほうが良いと述べる。とにかく水分補給をしろの一調子である。
たしかに人間の身体の3分の1は水で出来ている。体内水が1%減少するとのどの渇きを覚え、10%減少すると筋けいれんや失神を起こし、20%減少すると確実に死に至るという。昔NHKの番組でタモリが「健康のことについて考えることが一番健康に悪い」と述べていたが、水の重要性を半ば強迫的に思い知らされた気がする。しかし水を飲み過ぎるのはよくないと主張する医師もおり判断に迷うが、こまめに汗を流してこまめに硬水を補給することを心掛けていきたい。

イバン・イリイチ

今月から3か月間だけ朝日新聞をとることになった。今日の夕刊で明大教授栗原彬氏が昨年12月に逝ったイバン・イリイチについて述べたコラムが気になった。

イリイチは何度か来日したが、殊のほか水俣と沖縄の旅を好んだ。そこに現代の極限を見ただけではない。未来を拓く生命系の拠点、「ホーム」(親密な空間)を見いだしたのだ。かれはインドのガンジーの小屋で、癒やしと寛ろぎの訪れの中に、ガンジーの生命共生のメッセージを聞き取って、この空間を「ホーム」と呼んだ。(中略)「ホーム」では、私やあなたや隣人たち、つまり人間の複数性を前提に、身体と簡素な道具で世界に働きかける生の営みが行われ、身体と身体の間に、体温をもった文化が生まれる。

イリイチは現代文明を批判してやまなかった。私たちはとっくに分水嶺を左から右へ越えてしまった。峯を右から左へ逆方向に越え直そう、そのために文明のただ中で、至る所で「プラグを抜こう」と呼びかけた。彼への内発的な応答として、私たちは越境の構想を練らねばならないだろう。

栗原氏はイリイチの思想を受け継いで、「共生のガバナンス」と題してNPO、NGO、国家、企業など多元的な行為体の連携を呼びかける。そして具体的な実践例ととしてドイツの脱原発や「障害者差別禁止法」の立法化を挙げる。ドイツやフランスなどでは、国家・企業を巻き込んだ社会民主主義(修正主義と批判されようが)が具体的にイメージ出来るが、日本ではどうしても「プラグを抜く」ような共生的な価値観に基づいた社会像の青写真が描けない。生活レベルでの小さいスケールでの実践がまず問われてくるのであろう。

少々話は変わるが、昨日あたり日テレやフジテレビを中心に、北朝鮮の正月番組を例のごとく「金正日によって洗脳された薄気味悪い国家」という視点で再編集し放映していた。偏向報道をさらに偏向しているので、実情は不明であるが、国家によって行動規範のイロハの全てを押し付けられてしまう人民の悲惨な生活レベルは垣間見えた。
しかしあれほど社会・教育の全体に渉って金体制崇拝が押し付けられ、個人の思考が歪められてしまう現実をどう変えていけばよいのだろうか。特殊北朝鮮だけの問題でなく、国家と個人の一般問題としてどう考えていけばよいのだろうか。一つ考えられる突破口は”恋愛”であろう。「恋は盲目」という。恋愛ほど外部の価値観が入り込まないものはない。うまくまとまらないが、米軍による爆撃に代わるポジとして、激しい恋愛の小説や歌、映画を北朝鮮に送り込むというのはどうだろうか。北朝鮮の人々がどのような過程で結婚しているのか不明であるが、体制が厳しくなればなるほど、「LOVE&PEACE」といったように、自由恋愛から平和を希求せんとするジョンレノン的なメッセージが力を持つ。

『大吟醸』

元日に中島みゆきのベスト盤CD『大吟醸』を買ってきて今クルマの中で聴いている。
紅白で『地上の星』を聴いて早速買いに行ったのだが、収録アルバムが分からなかったので、とりあえず代表的なベストを買ってしまった。中島みゆきについて私はこれまで、中学生の頃薬師丸ひろ子がカヴァーした『時代』が大変気に入っていて、そのオリジナルを歌っている人という印象しかこれまでなかった。しかし、改めて詞を読んでみると、彼女の繊細な悲しみや怒りの感情がうまく表現されていて一度で気に入ってしまった。”ファイト!”という曲にそうした彼女の心情がよく表れているので紹介したい。

私、本当は目撃したんです 昨日電車の駅、階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐く逃げました 私の敵は 私です

あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ、あたし男に生まれればよかったわ

そういえばここまで書いて思い出したが、確か学生時代に「みゆきファンクラブ」というサークルに入っている友人がいて、学祭の展示の手伝いをしたことがあった。その時もとうとう聴かずじまいだったが、友人の真剣ぶりが記憶から消えずに残っている。全学連(Z)のシンパという噂(未だに『解放』を定期購読しているというが、本当だろうか…)を聴いていたこともあってか、「ごきぶり」の私が聴く曲ではなかったと当時考えていたのだろうか。(この辺の文脈は分かる人だけで)

amlからの転載です

1977年に横浜市北部に墜落した米軍機墜落の事件に関しての集会のお知らせです。数キロ離れた自宅まで煙がやってきたことを、断片的であるが今でも覚えている。「パパママバイバイ」という本に事件の経過は詳しく書かれており、本を手にした当時小学生ながらに、犠牲者の皮膚移植手術の苦しみへの同情と同時に、手を振りながらパラシュートで緊急避難した米軍兵への怒りを覚えた。

関係ない話だが、私の氏名でインターネットに検索をかけると未だに私の過去のamlへの投稿が出てくるのはどうにかならないのだろうか。

神奈川:☆★吉池 俊子です★☆
安保と自衛隊を考える上で、決して忘れてはいけない米軍機墜落事件の集会のお知らせです。

転載・転送歓迎。重複して受け取られる方お許し下さい
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   ■■■ 土志田和枝さんを偲ぶつどい ■■■
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米軍機墜落事故の犠牲者土志田和枝さんが逝って21年。 
墜落事件の真相を求めて、米軍と日本政府を被告として裁判に訴え、勝利判決を得て、『安保に風穴をあけた男』と呼ばれた椎葉寅生さんが講演します。

報 告 : 「墜落事件から25年を振り返って」  平和資料センター
講 演 : 椎葉寅生さん(墜落事件の被災者)
日 時 : 1月19日(日)13;30〜15;30
場 所 : 横浜市都筑公会堂第一会議室(都筑総合庁舎内)
      (地下鉄「センター前」下車3分)
主 催 : 横浜・緑区米軍機墜落事故平和資料センター
          (045−933−3954 斎藤)
資料代 : 300円

同時開催 : ■■米軍機墜落事件を追って25年■■
        ――内藤嘉利写真展――(入場無料)

『斜陽』

太宰治『斜陽』(角川文庫 1950)を読む。
よく分からないというのが正直な感想だ。おそらく戦前の「文学界」を舞台にした、プロレタリア文学陣営と新感覚派の間で行われた文学論争を揶揄しているのであろう描写も数多く出てくるが、いずれも頽廃的でとりとめない。
主人公かず子がローザ・ルクセンブルクの本を手にとり、「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」と心中激する場面があったかと思うと、レーニンの本を「表紙の色が、いやだったの」と友人に読まずに返却する場面がある。また「革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりにおいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。(中略)こいしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命なのでございます。(中略)革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです。もっと、いくつもの惜しい貴い犠牲が必要なようでございます。いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です」と最後に述べる場面がある。おそらく戦後直後の共産主義運動を批判的に視ているのであろう。
爵位に裏付けられた旧体制と戦後民主主義の挟間に放り込まれた犠牲者の家族の物語と言えばよいのであろうか。言い換えるならば、あまたの社会主義や民主主義、政治党派や宗教からの守備範囲のどこからも外れてしまう存在に光を当てた作品と位置づければよいのだろうか。正月ボケもあってかこれ以上の考察は難しそうだ。