今月から3か月間だけ朝日新聞をとることになった。今日の夕刊で明大教授栗原彬氏が昨年12月に逝ったイバン・イリイチについて述べたコラムが気になった。
イリイチは何度か来日したが、殊のほか水俣と沖縄の旅を好んだ。そこに現代の極限を見ただけではない。未来を拓く生命系の拠点、「ホーム」(親密な空間)を見いだしたのだ。かれはインドのガンジーの小屋で、癒やしと寛ろぎの訪れの中に、ガンジーの生命共生のメッセージを聞き取って、この空間を「ホーム」と呼んだ。(中略)「ホーム」では、私やあなたや隣人たち、つまり人間の複数性を前提に、身体と簡素な道具で世界に働きかける生の営みが行われ、身体と身体の間に、体温をもった文化が生まれる。
イリイチは現代文明を批判してやまなかった。私たちはとっくに分水嶺を左から右へ越えてしまった。峯を右から左へ逆方向に越え直そう、そのために文明のただ中で、至る所で「プラグを抜こう」と呼びかけた。彼への内発的な応答として、私たちは越境の構想を練らねばならないだろう。
栗原氏はイリイチの思想を受け継いで、「共生のガバナンス」と題してNPO、NGO、国家、企業など多元的な行為体の連携を呼びかける。そして具体的な実践例ととしてドイツの脱原発や「障害者差別禁止法」の立法化を挙げる。ドイツやフランスなどでは、国家・企業を巻き込んだ社会民主主義(修正主義と批判されようが)が具体的にイメージ出来るが、日本ではどうしても「プラグを抜く」ような共生的な価値観に基づいた社会像の青写真が描けない。生活レベルでの小さいスケールでの実践がまず問われてくるのであろう。
少々話は変わるが、昨日あたり日テレやフジテレビを中心に、北朝鮮の正月番組を例のごとく「金正日によって洗脳された薄気味悪い国家」という視点で再編集し放映していた。偏向報道をさらに偏向しているので、実情は不明であるが、国家によって行動規範のイロハの全てを押し付けられてしまう人民の悲惨な生活レベルは垣間見えた。
しかしあれほど社会・教育の全体に渉って金体制崇拝が押し付けられ、個人の思考が歪められてしまう現実をどう変えていけばよいのだろうか。特殊北朝鮮だけの問題でなく、国家と個人の一般問題としてどう考えていけばよいのだろうか。一つ考えられる突破口は”恋愛”であろう。「恋は盲目」という。恋愛ほど外部の価値観が入り込まないものはない。うまくまとまらないが、米軍による爆撃に代わるポジとして、激しい恋愛の小説や歌、映画を北朝鮮に送り込むというのはどうだろうか。北朝鮮の人々がどのような過程で結婚しているのか不明であるが、体制が厳しくなればなるほど、「LOVE&PEACE」といったように、自由恋愛から平和を希求せんとするジョンレノン的なメッセージが力を持つ。