鴻上尚史『恋愛王』(角川文庫1996)を読む。
内容は鴻上氏の恋愛自慢ではなく、恋愛ほど相手を理解しようと努めるものはないと、人間の心理の妙に迫るものだ。「”素直になれない私”をつくり上げたのは、”私”なのです。私がつくったものを、私がこわせないはずがないのです。人間は、ほとんどの場合、他人ではなく、自分でつくりあげた自分に負けるのです。んっとに、もったいない」と恋愛成就のための自己実現的な発言が目立つ。
男は、恋愛において個人的な満足を求める。つまりやすらぎを求めるって奴です。あなたの周りにいる男はみんな子供っぽいでしょう。一方、女は恋愛において社会的な満足を求める。つまり、社会に認められることや社会参加や
社会とのつながりを求める。あなたの友達は必ず、社会的に認められた恋人を自慢するでしょう。それはつまり、今の男がいかにやすらぎとか安心を社会の中で得てないかという証明であり、一方今の女性がいかに社会的に認められてなく、社会に参加していないか、するとしても、男を通じてしかないという証明なのです。
また鴻上氏は男女の恋愛観のすれ違いについて上記のように述べる。昔から出されていた議論であるのだろうが、改めて新鮮な感じがした。確かに逆説的な言い方をすれば、「男を捨てる」というのは「社会的立場」「責任」を捨てることであり、「女を捨てる」ということは「家庭的立場」「美」を捨て去ると一般的に考えられる。マザコンやロリコン、シンデレラ・白馬の王子様願望といったものも説明がつく。しかしだからどうなんだというものは見えない。