日別アーカイブ: 2002年12月13日

『海と毒薬』

二つめは遠藤周作『海と毒薬』(新潮社文庫 1960)である。
戦争末期の九州の大学付属病院を舞台とした米軍捕虜の生体解剖事件を小説化した作品である。一人の米軍捕虜を生きたまま解剖実験に処するという極々小さいエピソードであるが、日本人全体の抱える罪の意識の希薄さとと、国家や組織に倫理観すら奪われてしまう日本人の精神的な弱さという問題を読者に突き付けている。この問題はおそらく日本文学全体が避けてきたテーマである。近代以降の文学はそれ以前の封建的な道徳から反発することで展開してきた。夏目漱石や森鴎外こそがその代表例といって良いだろう。・・・これ以降はまだ考えがまとまらないので、後日改めて。

『ピアニシモ』

久しぶりに面白いと断言できる小説を読んだ。
ひとつは辻仁成『ピアニシモ』(集英社文庫 1990)である。
すばる文学賞を受賞したこの作品は辻仁成の処女作である。中学3年生の男子生徒が内面にもつ暴力性・衝動性が巧みに描かれている。青春ドラマに付きものの激しい文体ではなく、淡々とエッセー風に話は展開していく。しかしその淡白さが都会生活の中学生のフラストレーションをうまく醸し出していた。また島田雅彦の解説がそのままこの作品をうまく評している。

処女作には締め切りがない。締め切りがない作品はとにもかくにも何かを信じて書くしかない。自分の才能を? あるいは自分の成功を? 世間に対する自分の悪意を? そうした信念は別に誰のお墨つきももらっていない。いうなれば、全く根拠のない信念である。処女作が後続の作品に較べて輝きを放つのは、一つにはその根拠のない信念の強さゆえである。

島田氏はこのように述べるが、私も同感である。辻氏の以後の作品を読んだことはないが、おそらくこの『ピアニシモ』の持つ勢いを越える作品を生み出すことは難しいだろう。決して彼の才能を疑っているのでなく、それほどこの作品の放つ「輝き」は際立っている。