月別アーカイブ: 2002年4月

「心神喪失者医療観察法案」

友人から「心神喪失者医療観察法案」の国会上程についてのメールが来たので少々紹介したい。

今国会に心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」(心神喪失者医療観察法案)が上程され、審議入り間近の状況である。この法案は「観察」と名打っているが、実際は「精神障害者」の監禁という性格を持つ。この法案は違法行為を行なったとされる精神障害者が心神喪失を理由に裁判にならなかったか、あるいは無罪等の判決を受けたときに、再び同様の行為を行なうおそれがあるとされれば、最長5年の通院、もしくは無期的な入院措置が強制的に行われるというものだ。そもそも「精神障害」の定義づけすら誤解を生じている中、将来にわたって一人の人間の犯罪を行なう可能性を予見することなど不可能である。また証人申請の権利すらも認められていないなど、防御権が保障されていないので、拡大解釈によって対象が無限に広がってしまう。「推定無罪」という刑事訴訟法の原則すらも踏みにじるこの法案は、「精神的疾患」が原因となった犯罪の増加という面からのみ考えるのではなく、組織的犯罪対策法、有事法整備、住民基本台帳改悪=国民背番号制などと一緒に捉えていく必要がある。

詳細は現代書館刊フォービギナーズシリーズ『精神医療』の著者である長野英子さんのホームページを拝見ください。

酒田短期大学

4月12日付けの東京新聞で酒田短期大学の問題が特集されていた。
同短大を経営する瑞穂学園自体がかなりずさんな学校経営を行なっていたようだ。同法人は、福岡で不登校の生徒や中国からの留学生を積極的に受け入れている私立高校や専門学校も経営している。同短大は66年に開校し、これまで約3000人の卒業生を送りだしているのだが、最終学歴というのは日本では終生つきまとうものなので、卒業生はさぞかし肩身の狭い思いをしていることだろう。また私立学校の経営は法人単位で行なっているので、同法人が経営する他の学校に問題が波及していく恐れがある。

それにしても今回は何が一番問題になっているのかよく分からない。確かに奨学金の流用や、学費の払える中国人を優先的に合格させていた不正入試は学校法人としてあるまじき行為である。しかし中国人留学生の首都圏への移住は大学だけの問題ではない。文部科学省自身アジアからの留学生が最近アメリカへ流れてしまっていることに危惧し、10万人の留学生受け入れ政策を打ち出しており、この手の問題が発生することは必至であっただろう。またマスコミの報道もかなり一面的である。多くのマスコミが多数の中国人留学生が風俗産業に従事していたと差別排外主義的に報じている。不況下の中での外国人バッシングがどのような影響を及ぼすのか、過去の歴史をひも解いて見れば一目瞭然である。瑞穂学園の法人団体としての不正と、それ以外の問題は分けて考えてみるべきである。

『前世の記憶』

高橋克彦『前世の記憶』(文芸春秋)という短編集を読む。
前に氏の直木賞受賞作である『緋い記憶』(文芸春秋)を読んだことがあるが、「記憶を辿って現実と過去の曖昧な境界線が崩れていくという舞台設定は変わらない。この手の短編はたまに読むから味があるのであって、5編も6編も続けて読んでしまうと白けた感動しかやってこない。

『黒い家』

第4回日本ホラー小説大賞受賞作、貴志祐介『黒い家』(角川書店 1997)を読む。
生命保険会社の保全を担当する主人公が保険金殺人に巻き込まれていくという設定だ。作者自身生保に勤務していたということで、「保全」という保険金の支払いの査定業務について詳細に記されていた。保険金殺人という古典的なテーマであったが、保険会社に勤める主人公を視点として話が展開されており、また犯人の異常心理についても丁寧に紙幅がさかれていて現代的にアレンジされている。テンポよいサスペンス映画の脚本のような流れで、主人公の心理描写についていささか強引な点が気になった。

「未来への教室」

午前中NHK教育テレビで「未来への教室」という番組を見た。
ゼロックスパロアルト研究所のアラン・ケイ博士が子供たちに未来のパソコンの姿を語るというものだった。マックを使っているものにはおなじみだが、アラン・ケイがパロアルト研究所で提唱したダイナブックの思想に着目したのがスティーブジョブズである。彼はパソコンというものを人間の思考形態の延長と考えている。単なる計算機やインターネットに接続できる機械としてではなく、自分の頭の中でしか展開できなかった思考の過程を他人に説明できるものだと定義している。もちろん人間の思考内容は文字に限らず、図形や、音楽、動画などさまざまある。これまでのマルチメディアパソコンなるものは人間の表現領域に属する、テキストや図形ファイル、音楽ファイル、動画ファイルの全てが扱えるというものであった。しかしアラン・ケイは今「スクイーク」というOSを開発しているが、彼はそもそもの人間の思考領域の具現化を目的とした。私たちの子供時分には、物事を考えていく際、「ここがこうだから、これはこうして、こうしよう」と頭の中で思考のボックスを上下左右に動かしていたが、ちょうど子供の頃の頭の中を見るような画面である。専門用語でこれらのGUIをひっくるめてオブジェクト指向と呼ぶが、マックOSのはるか先を行っている。私たち大人はテキストベースで物事を理解しがちであるが、芸術家や子供の方が彼の目指す「メタメディア」のパソコンをうまく使いこなすことが出来そうだ。彼は自著の論文の中で次のように述べている。

コンピュータは,他のいかなるメディアー物理的には存在しえないメディアですら 、ダイナミックにシュミレートできるメディアなのである。さまざまな道具として振る舞う事が出来るが、コンピュータそれ自体は道具ではない。コンピュータは最初のメタメディアであり、したがって、かつて見た事もない、そしていまだほとんど研究されていない、表現と描写の自由を持っている。それ以上に重要なのは、これは楽しいものであり、したがって、本質的にやるだけの価値があるものだということだ。