映画」カテゴリーアーカイブ

『パッション』

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メル・ギブソン監督『パッション』(2004 米)を大宮へ観に行った。
イバラの冠をかぶせられ、ゴルゴダの丘で十字架に架けられるイエス・キリストの最後の12時間を映画化したものだが、拷問シーンの連続に辟易した。映画の冒頭から結末までずっと血まみれのキリストの肉体が映し出されており、カトリック教徒ならば手を合わして祈りを画面に向かって祈りを捧げずにはいられないという内容である。場面場面の登場人物の表情や立ち位置など、現存している宗教画を忠実に再現した歴史映画なのだが、ユダヤ教に対する軽侮など多分に宗教的であり、この時期に作成されることを鑑みるに,政治的な映画と言わざるを得ない。

『イノセンス』

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押井守監督アニメ映画『イノセンス』(2004 東宝)を岩井へ観に行った。
前作の『甲殻機動隊』の続編なのだが、前作の内容をすっかり忘れてしまっていたので、主人公の経歴など話の前提がいまいち飲み込めなかった。人間の思考すらも電脳化され、操る身体はいくらでも替えがきいてしまうサイボーグ人間がコンピュータ制御された人形とその存在意義を巡ってやり合うという近未来の世界が話の舞台である。人間の思考そのものがコンピュータの情報に還元されてしまうという設定は古くは手塚治虫の『火の鳥』や、鈴木光司の『バースディ』辺りでもあったが、今後形を変えながら使われ続けるテーマであろう。

『ナコイカッツィ』

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ゴッドフリー・レジオ監督脚本『ナコイカッツィ』を渋谷のユーロスペースへ観に行った。
最終日ということもあってかなり多くの観客がいた。時差ぼけが続いており眠いのを我慢しながらの鑑賞であったが、まあまあ楽しめた。この世のあらゆる営みがデジタルと戦争によって色付けられてしまう恐怖をコラージュ風の映像で紡ぎ出す。前々作の『コヤニスカッツィ』は一部に「映像叙情詩」とも評されたが、今作も、デジタルと戦争というものがいかに人間的な表情を奪い、人間性を破壊し、しかし人間の本能的な衝動を巧みに刺激するという本質を露にしている。

『ラブストーリー』

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クァク・ジェヨン監督・脚本『ラブストーリー』(2003 韓国)を大宮へ観に行った。
『猟奇的な彼女』の監督の作品であるため、期待して観に行ったが、期待を裏切らない純なラブストーリーであった。2003年の女子大生のありきたりな恋愛と、親の日記中における1968年という激動の時代の恋愛がオーバーラップしながら話は展開していく。黒髪の俳優女優が出演しており、最初は日本映画かと勘違いしてしまうが、韓国の朴正煕軍事政権から金大中民主政権への移行、その契機ともなったベトナム戦争体験も描かれており、後半部は日本映画との違いが目立った。一つ面白いことに気づいたのだが、男女別学で自由恋愛が御法度な時代の方が恋愛に対する熱意も、相手を振り向かせようとする愛の言葉も豊富で、逆に携帯でいつでも連絡が取れる現代の方が「相手は分かってくれるだろう」という思い込みが先行し、恋の言葉も激しさも減ってしまっている。「ロミオとジュリエット」のようにハードルが高ければ高いほど恋愛は盛り上がるという古典的な恋愛の法則を示しているのだろうか。

『解夏』

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本日岩井へ、磯村一路監督・脚本『解夏』(2003 東宝)を観に行った。
春日部から茨城県岩井市は車で行ってもかなり遠く、途中関宿の木間ケ瀬から利根川にかかる下総利根大橋を越えて岩井に入る辺りは寂れたところでまったく人気がなくなってしまう。しかしそうした所を通ることで、埼玉という「現実に生活する」世界から岩井という「虚構の物語」の世界に入り込む錯覚を覚える。岩井市民には申し訳ないが、岩井は電車も通っていない町であり、周辺の町からも離れており、私にとって現実とは繋がっていないない架空の世界である。ちょうど川端康成の『雪国』におけるトンネルのように、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』における暗い建物のように、はたまた『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』における畳の下の遥か遠い宇宙へつながる時空の扉のように、現実と虚構の架け橋を越えて岩井に出掛けていくのである。

話の内容としては病気が進行していくほど恋愛感情も高まっていくという典型的な恋愛ストーリーであり、台詞も陳腐な者であったが、主演の大沢たかお、石田ゆり子の演技がすばらしく、最後まで見入ってしまった。俳優あっての映画であろう。また長崎の観光地もあちこち紹介されており、ぶらぶらと長崎の町をあてもなく散歩してみたくなった。