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『被差別部落の青春』

角岡伸彦『被差別部落の青春』(講談社 1999)を読む。
ちょうど今週、人権教育で同和問題を扱ったので、手に取ってみた。

著者自身が被差別部落出身ということもあり、100人以上へのインタビュー記事や、実際の食肉加工工場でのアルバイトなど、部落問題の現状を分かりやすく描いている。同和問題というと、歴史的な流れや狭山事件などの戦後の差別事件、同対法や地対法の行政の働き、そして部落問題を含めた差別の根絶という3本柱を学ぶという意味合いが強かった。この本では、部落での結婚や、部落での生活や就労、そして食肉加工工場、学校現場での同和教育の取り組みといった同和問題のメインタームを扱いながらも、部落出身者内における部落に対する意識のズレや、家族内の認識のズレ、世代のズレを丁寧に伝えようとしている。

著者は、あとがきの中で、差別の厳しさや被差別の実態ばかりを強調する悲観論と、逆に差別はすでになくなって同和行政の行き過ぎを執拗に強調する楽観論の間の現状を描いてみたいと述べている。

『ひとり日和』

第136回芥川賞受賞作、青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社 2007)を読む。

高校を卒業してから、親戚の変わり者の吟子おばさんと奇妙な二人暮らしを始める主人公知寿の心模様が丁寧に描かれる。そして、二人暮らしの中で、知寿はアルバイトを始め、そして恋人に振られ、大人の振る舞いを知っていくことになる。一年間のモラトリアムを経て知寿は正社員となり吟子おばさんの家を卒業していく。

中盤はまったりと時間が流れていくのだが、最後は気持ちよいくらいのスピードでラストスパートしていく。最後の一節が特に印象に残った。

電車の中から見えるその景色は、書割りの写真のようにぴたりと静止している。そこにある生活の匂いや手触りを、わたしはもう親しく感じられなかった。自分が吟子さんの家に住んでいたのがどれくらい前なのか、ふとわからなくなる。ホームに出ておーいと叫んだとしても、その声があっちの庭に届くまでには何年もかかるような気がした。
発車の合図のベルが鳴って、背後で扉が閉まる。(中略)
電車は少しもスピードをゆるめずに、誰かが待つ駅へ私を運んでいく。

『みなさんこれが敬語ですよ』

萩野貞樹『みなさんこれが敬語ですよ』(リヨン社 2001)を読む。

謙譲語の定義の乱れや、尊敬語と丁寧語の混用、「ら抜き」言葉など、現代語の敬語にまつわる実例や学説などを豊富に紹介しながら、国語学者時枝誠記氏の敬語論に負った自説を展開する。著者は敬語の基本について次のようにまとめる。

  1. 話し手が、聞き手を上位とする場合。話題は自由。いわゆる丁寧語。
  2. 話し手が話題の人を上位とする場合。いわゆる尊敬語。
  3. 話し手が、何者かとほかの者とのあいだの上下関係をとらえた場合。「何者か」は、話し手であることも聞き手であることもある。いわゆる謙譲語。

書き出してみると特に目新しいことはない。要は古典文法の敬語のルールそのままである。つまりは、古典文法通りの敬語のルールを現代語にも適用せよという理屈である。
また、著者は「ら抜き」言葉について、受身・尊敬・自発・可能を表す「れる・られる」の混用が問題であるとしている。「見れる」「着れる」はあくまで誤用であり、「見られる」「着られる」を用いるべきだと述べる。しかし、受身か可能かは文脈で判断が容易であるが、そこに尊敬が入ると文脈では確定できなくなってしまう。そこで、「れる・られる」は受身か可能でのみ用い、尊敬は「お〜になる」「〜なさる」を使うべきだと主張する。
論の新しさはさておき、敬語の乱れという問題そのものの全体像をつかむことができる良書であった。

『終の住処』

第141回芥川賞受賞作、磯崎憲一郎『終の住処』(新潮社 2009)を読む。
表題作の他、書き下ろし作品『ペナント』が収録されている。
ここ最近私自身が疲れているせいなのか、それとも作者の描く世界があまりに狭小なのか、真偽は不明であるが、ほとんど物語の世界に入り込むことができないまま読了した。せっかく物語の舞台も登場人物の丁寧に描かれるのだが、話の筋も脈絡なくどんどん内面世界へとずれて行ってしまう。登場人物のストレスや存在の希薄がテーマとなっているであろうが、最後は活字を目で追うだけになってしまった。

『猛スピードで母は』

第126回芥川賞受賞作、長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋社 2002)を読む。
表題作の他、第92回文學界新人賞を受賞した『サイドカーに犬』も収められている。
『猛スピード〜』の方は、子どもの目線から一人で生きて行こうとする力強い母の姿を、『サイドカー〜』の方は、父の新しい恋人である女性の堂々とした生き方が描かれている。どちらも正直なところ、内容もさることながら、印象に残る場面やフレーズもなかった。
先日、石原慎太郎氏が芥川賞選考委員を辞任したが、その時の辞任の言葉である「いつか若いやつが出てきて、足をすくわれる戦慄を期待していたが、刺激にならない」という捨て台詞を思い出した。
社会や学校と反りの合わない母子家庭の孤独、そして、その孤独を無にしようとする心の強さが一応描かれるのだが、作品全体の印象は薄いと言わざるを得ない。