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『なんで、私が早慶に!?:2011年版』

受験と教育を考える会『なんで、私が早慶に!?:普通の子が「難関校」を突破する奇跡の勉強法とは 2011年版』(アーク出版 2010)を読む。
55段階で有名な予備校、四谷学院の宣伝の本である。数年前に同じ出版社の『なんで、私が東大に!?』という本を読んだが、ほとんど内容は同じであった。

そのまま真似はできないが、教員は経験を重ねれば重ねるほど、「これは中学校でやったよね」「分かっているだろう」「去年さんざん教えたから」と、教員自身の感覚に基づいて授業を展開しがちである。段階を追った小テストや前学期までの確認テストなどを小まめに実施し、生徒のつまづく所を把握した上で授業を進めていく必要を改めて感じた次第である。

 

『風立ちぬ・菜穂子』

堀辰雄『風立ちぬ・菜穂子』(ポプラ社 1965)を少しだけ読む。
先日、堀辰雄の王朝物を読んで面白かったので、本棚の奥に眠っていた本を引っ張りだしてみた。10ン年前に古本で購入して、どうも頭に入らず、途中で投げ出してそのままになっていた本である。
今回は関心を持って手にしたので読了できるかと思ったのだが、どうしても作品世界に没頭できなかった。『幼年時代』という小作品だけ読み、あとは前回と同じような場面で挫折してしまった。
十数年後にまたリベンジしてみたい。

『アナログ主義の情報学』

岩中祥史『アナログ主義の情報学』(梧桐書院 2010)を読む。
本書は以下の章立てで構成されている。大体章立てを読むと筆者の伝えたいことが読み取れるであろう。

  1. 「アナログ」の深さと面白さを忘れていないか
  2. 「紙」情報の価値を再確認しよう
  3. 「街」を歩いてオリジナル情報を構築しよう
  4. ブレない主張は「一次情報」からしか生まれない
  5. 「本」と「ラジオ」と「映画」が、豊かな教養をもたらす
  6. 「人間」こそ、質と量を備えた情報の宝庫
  7. アナログ情報をどう整理・保存するか

現代の日本人は、インターネットやメール、SNSといったデジタル情報を追うことに忙しいが、筆者はネットやテレビといった一度編集の手が加わった「二次情報」ではなく、実際に現地に行って、生の姿に触れる「一次情報」の大切さを説く。
そうした情報は海外に行くとか、演奏会に行くといったものだけで得られるものではない。関心を持って街を歩く、道の駅で街を知る、看板や表札を眺める、ショップのカードから考察を深める、移動中居眠りをしない、ホテルのバーでの会話を楽しむ、といった一昔前では当たり前の行動から、ビジネスや人生の様々な「情報」が得られると筆者は解く。
生活のどんな場面でも「情報」を嗅ぎ付ける興味・関心の網を張る事を忘れるなと述べる。

リタイアでもしていないかぎり、時間に追われているのは、どんな人も同じだろう。だが、それでも何か”異変”に気づいたらすぐにそれを探る—それくらいの余裕は持ちたいものである。

『かげろうの日記・曠野』

堀辰雄『かげろうの日記・曠野』(新潮文庫 1955)を読む。
蜻蛉日記に題材を得た『かげろうの日記』と『ほととぎす』、また『更級日記』から着想を得た『姥捨』、メロドラマ仕立ての『曠野』の4編が収められている。

『かげろうの〜』は、そのまま蜻蛉日記の現代語訳といった雰囲気で、夫兼家との不仲や息子道綱への愛情がテーマとなっている。その中で、主人公道綱母が、夫兼家が居ない間に、兼家の自筆の手紙の入った硯箱を勝手に開け、他の女性へしたためた手紙を盗み見るシーンがあった。昔も今も本当に変わらないなと思い、興味深かった。

『武蔵野夫人』

大岡昇平『武蔵野夫人』(新潮文庫 1950)を読む。
彼の代表作である『俘虜記』のすぐ後に書かれた作品である。『俘虜記』同様に、野球の実況中継のように、場面や状況によって刻々と変化する心境が丹念に描かれる。
当時としてはセンセーショナルであった不倫や離婚、自殺といったテーマをうまく組み合わせて物語が作られている。最初は読み進めるのに苦労したが、後半に入って人物関係が頭の中で固まってからはすいすいとページを繰る事ができた。

Wikipediaによると、この『武蔵野夫人』の最後の方に主人公の道子が自殺するシーンがあるが、その場面における「事故によらなければ悲劇が起らない。それが二十世紀である。」という一節が、福島第一原子力発電所の事故との関連で注目されているらしい。一婦人の自殺と原子力発電所の人災を一括りにするのはかなり牽強付会であるが、キャッチフレーズとして読む分には時節に合っているのではないか。