読書」カテゴリーアーカイブ

『木のいのち木のこころ(地)』

小川三夫『木のいのち木のこころ(地)』(草思社 1993)を読む。
高校を出て法隆寺の宮大工であった西岡常一の弟子入りしてから、自身が棟梁となり弟子を取るまでの成長の半世紀が語られる。
宮大工というのは、建物が出来上がってから200年、300年経ち、木がうまい具合に縮んだり風合いが出てきたりして完成を迎える息の長い仕事である。そのため、機械や知識よりも、職人の手作業による技術や勘の継承が求められる。
すぐに結果を求め方法論に走りたがる私たちへのお叱りの言葉が綴られる。数年後もう一度読み返してみたい本であった。

大工がわからんことがあったら法隆寺に行けばいい。木で建物を造るということはどんなことかを教えてくれるから。それにしても俺は思うんだけど、新しい機械が作られて技術が進むと、その分だけ人間の能力は劣っていくもんだな。これから先も便利なのがいいって言い続けたら、どうなるかと心配だ。とくに俺たちみたいに手の記憶で仕事をする人間がそうなったらと思うと、ぞっとするな。法隆寺は技術の進歩が進んだときへの警告かもしれんな。

『アマバルの自然誌』

池澤夏樹『アマバルの自然誌:沖縄の田舎で暮らす』(光文社文庫 2007)を読む。
既に休刊しているが、男性向けのライフマガジン『BRIO』で1999年から2001年にわたって連載され、タイトルにある通り、沖縄県島尻郡知念村で5年半に亘って暮らした自然観察記である。
家に飛び込んできた鳥や、家の前で大量に発生した毛虫やスズメバチなどが写真入りで紹介されている。
肩肘張った内容ではなく、環礁や沖縄の気候を確認しながら気楽に読み流した。

『森の贈りもの』

柿崎ヤス子『森の贈りもの』(創森社 2005)を読む。
山形県北部にある人口1万人の真室川町で林業を営む著者が、林業のことや各地での講演会のこと、ボランティア体験などを自分の言葉で語っている。柿崎さんは、自宅の裏山を「百樹の森」と命名し、150種以上の木を植え、体に障害を持つ方や目の不自由な方々、いろいろな事情で家庭を離れて児童養護施設で暮らす子どもたち、さらに地元の高校生などを招待し、森に直に触れたりする癒しの場を提供している。
山村というだけで貧しい寂しい生活をつい想像してしまうが、柿崎さんは、都会に住む人には想像もつかないほど「豊か」な暮らしをしている。樹木や農産物の成長に心を動かし、心の籠った友人や知人に囲まれ、夜は読書に耽るという理想的な生活である。読んだことはないのだが、ヘンリー・D. ソロー著『ウォールデン森の生活』を思い出した。

私もいつかは森に帰り(?)、山村での生活を実践してみたくなった。

『ユニコーンの旅』

五木寛之『ユニコーンの旅』(文藝春秋 1971)を読む。
うつ病の少年が作ったユニコーンを題材とした詩に纏わる表題作のほか、1950年代末のタクシー業界を描いた「奇妙な果実」など、自動車をモチーフにした短編4作が収められている。どれも五木氏の若い頃のエネルギーを感じる作品であった。
特に、妻と娘に秘密で深夜に中古の外車でドライブを満喫する中年男性を描いた「夜の世界」という作品で印象に残るシーンがあった。車という閉じられた自己の世界に逃げ込もうとする団地住まいのサラリーマンが、ドライブの途中で世界は変えられると信じる学生活動家に出会う。学生活動家との距離の取り方が面白かった。

疲れているので、意味不明な文章になってしまった。。。。

『高齢者医療と福祉』

岡本祐三『高齢者医療と福祉』(岩波新書 1996)をぱらぱらと読む。
いよいよ高齢者の介護が喫緊の社会問題となり始めた頃に刊行された本である。
ケアマネジメントやホスピス、グループホーム、ターミナルケアなどの横文字用語が分かりやすく説明されている。
刊行当時も、20年経った現在でも、施設に預けるのはではなく、子どもが親の介護に責任を持って当たるのが親孝行であるという「神話」が幅をきかせている。しかし、戦前までは「親孝行、したい時には親はなし」と長子は平均33.7歳で父親と死別し、37.9歳で母親と死別していた。さらに末子に至っては、平均21.4歳で父親と、そして25.6歳で母親と死別していた。それが現在ではそれよりも20数年遅れており、高齢者介護が戦前とは全く別次元の問題だということが分かる。そうした社会背景を無視して、子どもが親の面倒を看るのが当たり前だという易き論調には与したくない。