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『無頼化する女たち』

水無田気流『無頼化する女たち』(洋泉社 2009)を読む。
ちょうど伊豆大島の往復のフェリーに乗っている間に時間があったので、久しぶりに新書を立て続けに3冊読んだ。
最初は一人称の語り口調の文章に苦手意識が立ったが、読んでいく内に水無田さんの独特の文体のリズムにはまってしまい、一気に読み終えた。
現代女性女性をめぐる諸問題について、1980年代、1990年代、2000年代の3つに分けて論じている。とりわけ印象に残った一節を引用してみたい。

 公的な場(たとえば職場など)では、女性は「性的対象としてだけ見られる」ことは、侮蔑である。だが一方、私的な場では、「性的対象として見られない」ことこそが、侮蔑となる。
 前者は正しさ界、校舎は望ましさ界に親和性が高い。しかし、公的な場でも、完全に性的対象として見られない(女性としての魅力がない)ことは、望ましいとは言えないどころか、暗黙の差別を生む。東電OL殺人事件を、思い出してほしい。
 アンドレア・ドウォーキンのように、「女性として見られることそれ自体が差別」と言い切れるならば、話は単純である。だが、多くの女性は、その境地にたどり着けない。それは正しさよりも望ましさが日常を覆っているからである。

『原発の闇を暴く』

広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を暴く』(集英社新書 2011)を読む。
2011年7月、福島第一原子力発電所事故にかかわる責任者・学者32名を東京地検特捜部に刑事告発する直前に出版された本である。
福島第一原発事故に際しての東京電力側の動きや、政府関係者の動向が対談形式でまとめられている。計画停電が東京電力の意図した通りに実施された背景や、地球温暖化の原因である二酸化炭素撲滅運動が原子力を推進する電気事業連合会によって喧伝されてきたからくりが丁寧に説明されている。
最後に、原発の代替として再生可能エネルギーを安直に過信するのではなく、まずは廃炉を決定した上で、天然ガスを中心とした火力発電中心に切り替え、徐々に再生可能エネルギーを向上させるべきだと述べる。また、当時は、電力が自由化されるとコスト高な原子力発電は自然に淘汰されていくと予言しているが、現実には、様々な規制が掛けられ、電力自由化の4月以降も原発依存の流れは続いている。
もっとエネルギー問題全般についての勉強が必要であると反省した。

『原発のウソ』

小出裕章『原発のウソ』(扶桑社新書 2011)を読む。
執筆当時、京都大学原子炉実験所助教職にあった著者が、専門的見地から、福島第一原発事故発生から2ヶ月間の被爆状況やその対象法について丁寧に説明している。特に、六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の限界点を挙げ、いち早く「廃炉」することが大事だと述べる。

『数独パズル殺人事件』

シェリー・フレイドント『数独パズル殺人事件』(ヴィレッジブックス 2008)だが、本書の方は一行も読まずに、数独の父と称される株式会社ニコリ代表の鍛治真起氏の解説だけを読んだ。
数独は日本オリジナルのものだと思っていたが、アメリカのパズルマガジンで発表されていたもののコピーだと知り、いささか残念な気持ちになった。

『アスペルガーの子どもたち』

井上敏明『アスペルガーの子どもたち:親が知りたい、こんな時どうする?』(第三文明社 2004)を読む。
タイトルこそ「アスペルガー」と付いているものの、医学的な見地に立った育児論や教育論ではなく、カウンラセラーとして出会った子どもたちの事例の一つとして紹介されているに過ぎない。また、詰め込み教育や画一教育、選別教育に対する通り一遍の批判が繰り返され、最後は著者自身が主宰するカウンセリング研究所やフリースクールの宣伝のような内容になっている。読むだけ時間の無駄だった。