山本四郎『原敬:政党政治のあけぼの』(清水書院 1971)を読む。
「平民宰相」という言葉の印象が強く、「庶民派」のイメージがつき纏う政治家である。第一次護憲運動のスローガンであった「閥族打破・憲政擁護」の路線を貫き、藩閥政治に戻るような動きは徹底して潰してきた骨のある政治家である。
しかし、原は首相になる前に西園寺公望や山県有朋といった元老との関係を蜜にし、桂園時代の支えてきた政治屋的な側面もある。「維新いらい、わが先輩の尽力でなにごとも政府は一歩進んで改良をなしてきた。人民より迫られてはじめて処置をとるようでは、国家のために憂うべきである」と当時勢いを増してきた普選運動や社会主義運動には冷水を浴びせる。また、「将来民主主義の勃興は心に恐るべきである。自分も官僚も同様に心配するところであるが、官僚はこの潮流を遮断しようとし、自分は激盛にせずに疎通して大害をおこさぬようにする。そこに差がある」とも述べている。
30代、40代の頃は政治体制そのものを変えることに熱意を燃やしてきたが、首相となった60代になると闘志こそ維持しているが、政友会の政策である4大政綱を通すことに腐心することになる。やはり人生にはタイミングがあり、40代の頃に首相になり、長期政権を見据えることができれば、評価は全く変わっていたのではないだろうか。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『こんなにためになる気象の話』
饒村曜『こんなにためになる気象の話』(ナツメ社 2003)を読む。
数年前にレポートを作成する際に参考にした本である。教材研究で読み返してみた。
雑学だけでなく、風や雲の仕組みや気団の動きなど、専門用語や数式を用いずに分かりやすく説明している。さらっと読んだが、知識の整理に役立った。
『敗戦の逆説』
進藤榮一『敗戦の逆説:戦後日本はどうつくられたか』(ちくま新書 1999)を読む。
戦前の1940年代体制へ憧憬や、戦後のGHQの押し付け憲法や政策が日本を間違った方向に誘導したとする一部の「保守層」の我田引水な歴史観に対して、戦前から戦後にかけての日米の政治家や官僚の発言や文書から丁寧に反論を展開している。
新書なのだが、歴史の大まかな流れの概説を省いて、いきなり専門書レベルの内容に入っていくので、筆者の言いたいことは良く分からなかった。
戦前日本にあって、全就業人口の5割が農業に従事しながら、農民の3分の2は小作農であり、農地の過半を占める水田の50%は小作地であった。そして小作農は、収穫の50〜60%に及ぶ小作料を地主に納めることを法的に義務づけられて悲惨な生活を送らざるをえなかった。(中略)しかも小作料自体が農業に再投資されることが少なかったために、農業生産性はほとんど向上せず、全就業人口の半分近くが農業に従事しながら、戦前期にあって日本は米の自給すらできなかった。それが、台湾や朝鮮などの外地から大量の米を輸入させながら、満州を含めたそれら外地に大量の人口を”植民”させ、したがってそれら周辺諸地域に植民地として獲得し拡大する動きを嚮導していかざるをえなかったのである。
『十三の墓標』
内田康夫『十三の墓標』(祥伝社 1992)を読む。
1987年に刊行された本に加筆・訂正を加えたものである。
名探偵浅見光彦は登場せず、警視庁の岡部警部の部下である坂口刑事が活躍する。全国各地に存在する和泉式部の墓や遺跡をモチーフに話が展開する歴史ミステリーである。内田作品初期の少し堅い雰囲気のある作品である。作品の展開と連動しながら、頭の中の地図がぐるぐると動いていった。1981年に実際に起きた余部鉄橋の列車転落事故が作品に絡んでおり、昭和という時代の歴史も合わせて感じることができた。最後はいつもどおり強引な展開で締めくくられてしまうが、ソアラで高速道路を疾走する浅見光彦シリーズとは異なり、鉄道の車窓からのんびりとした昭和の風景を一緒に味わえるのが一興である。
『喪われた道』
内田康夫『喪われた道』(祥伝社 1991)を読む。
長編本格推理との宣伝だが、伊豆の金山や地震、鎌倉街道、青梅街道など、歴史や地理に関する要素が多数盛り込まれていて一気に読んだ。
バブル崩壊や雲仙普賢岳の噴火、オウム真理教など、当時の時代を彩る言葉が並ぶ。
