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ペヤングやきそば

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やっと定期考査の問題を作り終えた。毎度のことながら、直前になってあくせくしてしまう。家で仕事が出来ない性質ので仕方ない面もあるが、「次回」から「自戒」を込め、早めに余裕を持って対処したい。
夜食としてペヤングやきそばの超大盛を夜10時過ぎに食べた。パッケージを見ると「1099キロカロリー」とある。30過ぎたおじさんが夜に高脂質なものを大食いするというのも避けたいものである。

子の成長

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1歳4ヶ月なんなんとする娘であるが、よちよち歩きの「二足歩行」にも少しずつだが慣れてきたようだ。もう少し歩けるようになれば公園に散歩に行けるのだが。
しかし、早く歩いてほしいという願う一方、まだまだハイハイのままの赤ちゃんでいてほしいという気持ちが入り混じる今日この頃である。

吉見百穴 東松山

本日は仕事が休みだったので、家族を連れて北上尾にあるリサイクルショップや吉見百穴、東松山をぐるっと回って帰ってきた。吉見百穴では10キロの娘を抱えて急な階段を上り下りして筋肉痛になってしまった。。。1歳3ヶ月の娘も数日前からやっと二本足でよちよちと歩き出したが、まだハイハイや抱っこの方が楽なようである。東松山で「ヤキトリ」と称される焼き豚を食べてきた。辛子味噌につけると豚肉の甘味が引き立って美味しかった。

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『あかちゃんのいる暮らし』

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毛利子来『あかちゃんのいる暮らし』(筑摩書房 1983)を読む。
小児科医の専門的な見地から、ゼロ歳児の子育てについて、親が辛いと感じる育児は決して子どもに良い影響を与えないという考えのもと、ほどほどの子育て、楽しい子育てを提案する。
その中で、母親は他者がつけ入る隙のないピュアな母性愛を持つ存在であり、母親が子育てに全責任を持つのは自明のことだとする現代社会のあり方そのものに毛利氏は疑義を呈する

産みの母親が密着して赤ちゃんを育てるスタイルは、歴史的にみても国際的にみても、人類に普遍的なものではありません。むしろ大家族が共同して育てたり、母子の接触が少なかったり、里子に出したりしていた期間の方がずっと長かったようです。現代でも、集団保育や父親の関与の強い社会は世界に広くみられます。(中略)いま、母親が働きたく、あるいは働かねばならぬ事情で子どもを他人に預けるのは、そうした共同体の崩壊がもたらした核家族化のなせるわざでしょう。それを「母性愛の喪失」といって非難するのは、女を社会に生きる人間としてみていない男優先の思想からだと思います。そうでなくても「生産性がより高い」と認識される男性労働力を家庭で修復し、次世代の労働力である子を育てる機能を女性に押しつけようとしているところからきているにちがいありません。

恥ずかしながら

先月の社会福祉士試験の合格でやっと2年に及ぶ福祉の勉強に大きな一区切りを付けることができた。その前の養護学校免許取得課程も含めると3年にもなる。
気分を改め,これから5年後に向けた目標を設定し,心身ともに健康を保ち,自分を高めていきたいと思う。

しかし,残念ながら,ここ5年ほど仕事においては低空飛行が続いている。周りから見れば,順風満帆うまく行っているように見えるかもしれないが,私の時計は止まったままである。しばらくは雌伏の時期が続きそうだが,自分の可能性を信じたいと思う。

さて,自分が5年前にどのようなことを考えていたのか振り返りたいと思い,現在のプロバイダーに移る前の雑記帳を今のウェブに戻してみた。
敢えて恥を晒すという意図で,レイアウトだけ調整して他は一字一句直していない。下手くそな自分善がりな文体で半分以上が判読不能である。こんな文章を書いていたのかと自分が一番驚いている。