14日は、昨日の疲れからか、目が覚めた時は9時であった。急ぎ、奥の細道の北限である象潟にある蚶満寺を目指した。象潟はかつては入り江に数十の島が浮かぶ景勝地であった。芭蕉が訪れた頃はまだ、美しい景色が広がっていたが、1804年の大地震によって潟底が2.4メートルほど隆起し、一夜にして潟の水が失われ陸地になってしまったという歴史を持つ。
象潟の様子
芭蕉の句碑
西施像
芭蕉像
14日は、昨日の疲れからか、目が覚めた時は9時であった。急ぎ、奥の細道の北限である象潟にある蚶満寺を目指した。象潟はかつては入り江に数十の島が浮かぶ景勝地であった。芭蕉が訪れた頃はまだ、美しい景色が広がっていたが、1804年の大地震によって潟底が2.4メートルほど隆起し、一夜にして潟の水が失われ陸地になってしまったという歴史を持つ。
象潟の様子
芭蕉の句碑
西施像
芭蕉像
12日の夜に、イスラム教徒が聖地メッカを巡礼するように、オタクが鷲宮神社を巡礼するように、一応国語科教員の端くれとして、『奥の細道』で俳句が詠まれた聖地に五体投地で訪ねたいと思いに耐えきれず、夜の9時に春日部を出発した。
新4号を北上し、宇都宮から県道63号線を突っ走り、ぶつかった先の国道121号線を今度は川治温泉を駆け抜け、深夜2時過ぎに会津田島駅に到着した。駅前の駐車場で車中泊。
朝7時に目が覚め、ここから民族ならぬ私一人の大移動となった。会津田島駅のコンビニで朝食を済ませ、国道121号線を北上。会津若松は来たことがあるの で、そのまま通過。そして、米沢で少々早い昼食となった。駅前で本県産牛肉の入ったビーフカレーを食すも、100%と断言できるほどのレトルトの味。米沢 の本屋で東北の地図を買う。それまで関東甲信越の地図であったので、米沢が北限であった。ロールプレイングゲームなどでありがちな旅の地図を手に入れた気 分。
途中、ラジオから「あっては困る、なくては困る」とのキャッチコピーが流れる。何のCMかと耳を凝らすと、葬儀場のCMであった。陳腐ではあるが、なかなか上手いと思う。
米沢北インターから高速道路無料社会実験中の米沢南陽自動車道に乗る。そして今度は山形上山インターから山形自動車道に乗る。
無料で高速道路を利用するというのは、頭では分かっていても、実際、これまでの車移動の常識が崩されてしまい不思議な気分である。
山形市内を大きく迂回し、山形北インターで降りる。今回の旅の目的である山寺立石寺を参詣する。
静かさや岩にしみ入る蝉の声
芭蕉はそう句に詠んだが、
炎天下の中、なかなか正体を見せない「奥の院」まで、数百段もの階段をひいこら言いながら上りながら思い浮かんだ一句。
瀑漠と岩にしみ入る供の汗
旧約聖書で「バベルの塔」であまりに高いところに建物を建設した人間に対して、神は罰を与えたが、この立石寺で仏は仏罰を与えないのだろうかと疑問になった。
山寺の芭蕉像
山寺の曽良像
険しい山寺の階段
山寺の奥の院

昨日、やっと我が家も地デジに対応することになった。
今まで使っていた20インチのモノラルテレビでも何の不満もなかったので、先月までは来年7月の停波まで使おうと思っていた。しかし、先月下旬来の酷暑に加え、ブラウン管から発せられる熱で部屋の空気が澱むのが、ふと耐えきれなくなったので、思い切って切り替えた。
あらためて、ハイビジョンの美しさに感動というか、感心すること頻りである。
今日あたりで、ここ2ヶ月ほどの前後不覚になるような混乱が一段落した。
家に帰っても途中記憶が抜けるような時間があり、この雑記帳に書き綴った文章も主語述語関係すら支離滅裂なものなっていた。
少し気分を替えて、読書、映画、家族、日記、運動といった私のプライベートライフの5つのベースを充実したものとしたい。昨年も一昨年も夏は仕事に追われていたので、3年ぶりに読書に勤しむ夏としたい。一日1冊、50冊の読破を目標としたい。