投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『波瀾万丈』

辰吉丈一郎『波瀾万丈』(ベースボールマガジン社 1994)を読む。
おそらくはゴーストライターによるものであろうが、軽妙な文体で気楽に読むことができた。
苦労・努力の末、運命的な成功を掴むストーリーは、スポーツ系の成功潭の典型であろう。

『水辺のゆりかご』

柳美里『水辺のゆりかご』(角川文庫 1997)を読む。
彼女の悲惨な過去半生が描かれた自伝的小説である。後書きで林真理子が述べているように、あまりに悲惨な経験であるために、かえってどこか遠い世界の物語のような虚構を感じてしまう。彼女の芥川賞受賞作「家族シネマ」と合わせて読むとより深く味わうことが出来る。

『グリーン・マイル』

スティーブン・キング『グリーン・マイル』全6巻(新潮文庫 1997)を読む。
知人に映画が面白いという話を聞いて原作を読み始めたのだが、確かに映画のシナリオを読んでいるように計算された伏線と構成を持つ作品であった。登場人物の内面描写よりも、人物の行動や会話の細かい点まで逐次描き込むことで、人物像をうまく浮かび上がらせている。内容的な深さはないのだが、スリリングな展開のうまさにへとへとになりながらも最後まで一気に読んでしまった。

『当節定時制高校事情』

佐々木賢『当節定時制高校事情』(有斐閣新書 1987)を読む。
「スクールウォーズ」に描かれた80年代前半の学校が荒れていた時代の雰囲気をよく象徴したエピソードがたくさん紹介されている。妊娠中絶や暴走族、シンナーやリンチに万引き、カツアゲ、さぼりなど生徒指導の項目オンパレードである。しかし定時制高校の教師である著者の視線は暖かい。それら全てを自己表現の現れと肯定的に受け止めている。そして返す刀で管理教育、教育の貧困を切る。論調としては「ありがち」な教育批判に過ぎないが、著者の迷いが素直に述べられており好感が持てる。そうしたラディカルな理想論と現実とのギャップに悩む著者のありようは次の引用によく表されている。

(あまりに出来ない生徒を前にして、他教科の試験中に解答をこっそり板書して説明したことについて)おそらくこれはカンニングのせいだろう。テスト最中に答えを教えるのは立派なカンニングだ。この時教師は「ものを教えて評価する」教師ではなく、カンニングの共犯者となっていたのである。中国の文化大革命の頃「カンニングは正しい」とされたことがある。互いに教え合う協力の精神が高く評価されたのだ。カンニングは犯罪なのか、意外に難しい問題なのだが……。

『京都史跡見学』

旅行中、村井康彦『京都史跡見学』(岩波ジュニア新書 1982)を読んでいた。
なぜ京都へ行くことを「上洛」というのか、どうして室町時代が京都に花咲いたのか、福原遷都の失敗など京都を巡るおおまかな歴史について理解できた。京都旅行に行く際、ちょっとした旅行のスパイスとなる代物である。